よっくすの住んでいる地域からは富士山が見えない。
距離的にはさほどでもないのだが、山がある。栃木県からでも富士山が見えるというのに。
さて、ここ1ヶ月以上、毎週毎週、沼津近辺に出現したよっくすだが、なぜだか全く富士山を見ることができなかった。
当初は所用での往来であったが、11月中旬からは、ただ富士山が見たいがために山を越えた。11月末に至り、ようやく美しい富士山を拝むことができた。
富士山を見たからといって何か生活に影響があるわけではない。
深く考えれば、富士山からの伏流水が大量の湧水となって現れる麓の各地では、豊かな淡水を利用した工業地域が形成されたりだとか、日本を代表する霊峰を見物しに来る外国人観光客が現れたりとか、そういう形で経済効果があるのだろうが、毎日の日常生活に関わってくることはあまりない。
どちらかといえば精神的な面での影響力が大きいように思う。
仰ぎ見れば富士山が聳えている地域で暮らすのは、良い気持ちだろう。
卑近な例を引いて恐縮だが、富士山を眺めるために私が何度も往来する努力を重ねたのも、要するにそれだけの価値をよっくすが認めたということだ。
とくに何をしてくれるわけでもないが、住民を見守っている山。富士山はそういう山である。
いわば神のような存在だ。
実際に、富士山を神として仰ぐ浅間信仰というものが存在する。全国に分布する浅間神社は富士山に対する信仰の神社である。
江戸時代には噴火して被害があったりもしたようだが、現在は静かな神である。
桜島はそれとは対極にある。
実のところ、富士山は登れるが桜島は登れない。
にもかかわらず、生活との関係が深いのは富士山よりも桜島である。
市街地の直近に屹立する活火山である桜島の影響は、何よりも降灰という形で現れる。
部屋の中で佇んでいると、ビリビリっと、まるで地震のような音で窓が鳴る。しかし地面は揺れていない。空振だ。
すると人々は空を見上げ、噴き上げた噴煙がどちらの方角へ流れていくのかを確認するのだ。
煙がこちらへ流れてきたら、せっかく干した洗濯物はまた洗い直しだ。車は真っ黒。コンタクトレンズの人は目も開けられない。
間違って灰が付着したメガネなど拭こうものなら、一撃で傷だらけになってお陀仏だ。
農業者には、降灰対策事業で、補助が出る。
鹿児島では、よく見るとサンルームを備えた家が多く見られる。これも降灰の影響なしには考えられない。これも文化、地域性というものだろう。
富士山が地域に人々の、ひいては日本中の人々の精神的な支柱なのだとしたら、桜島は現実の生活そのものである。
桜島が次にどういう手に出てくるか。それが鹿児島の人々の生活を規定する。
富士山が神だというのならば、桜島はいわば鬼だ。
さて、富士山が神のごとき存在だとすると、その神に陶冶される民とはどのような人々なのだろうか。
本稿で問いたいのはそこだ。
桜島を仰ぎ見る鹿児島県人には、「西郷隆盛」という、人間としての明確なロールモデルがある。
一言で言えば茫洋として、小事にこだわらず、器の大きい人間だ。
彼が実際にそのような人物であったのかはよくわからない。
しかし、いずれにしても、彼のそういうイメージ、そして人間とは彼のごとくあるべしという理想像は、確として県民に共有されている。
他県民から見ても、そういう鹿児島県人はイメージしやすいのではないだろうか。
それは今ひとつ桜島のイメージとは結びつかないのだが、しかし上述の通り桜島は神と言うよりも鬼だから、別にかまわない。
富士山の場合はそうはいかない。
なぜならば富士山は神だからだ。
富士山を精神的な支柱と仰ぐ人々がかくあるべしと考える人格とは、どのようなものなのだろうか。
それが明確にイメージされてこそ、富士山がその霊的な役割を果たしていると言える。
静岡にゆかりの偉人といえば、まず徳川家康である。
彼の出身は三河の豪族であるから、愛知県人と見なされることが多いが、彼が長く過ごしたのは浜松と駿府であって、その行動は完全に静岡県人である。
しかし、静岡県人のロールモデルとして徳川家康を想起する人はまずいない。
堅忍不抜、忍耐と苦心の末に最後の成功をつかみ取る、といった彼のイメージは、どちらかといえば静岡県の一般的なイメージとは対極にあるような気がする。
三浦知良とかちびまる子ちゃんとかのほうが、まだ静岡らしい気がする。
さて、では静岡県、あるいは富士山麓といってイメージできる人格はどのようなものだろうか。
住民が「自分は富士山を見て育ったから○○だ」と言えるようなイメージはどのようなものだろうか。
富士山は、日本が世界に誇るに足る名峰だ。
そこに住む人が、それを誇りに思い、心の支えとして生きているのは当然だと思う。
であればこそ、それほどの霊峰だからこそ、ではそれほど富士を敬愛する気持ちが、
具体的にどのような形、どのような人格になって現れるのだろうかが大事なのではないだろうか。
よっくすの知る範囲で言えば、神奈川県における二宮金次郎の存在も同様なことが言えると思う。
どこの小学校にも銅像があった。
だが、毎日、二宮金次郎の銅像を拝んで、それで自分が少しでも彼の薫陶を受けたのかと言えば、すこぶる疑わしい。
勉学に精励刻苦したわけでもないし、経済方面の才能に長じて誰かを助けたこともない。
少しでも二宮金次郎らしいことといって思いつくことと言えば、スマホを見ながらごはんを食べたことぐらいだ。
霊峰を見ながら、我が身のあり方を顧みたひとときであった。