地方の鉄道が減った。
東京や大阪など大都市圏では、鉄道網が蜘蛛の巣のように張り巡らされており、たいへん便利である。
かつては地方にも多くの鉄道があったが、JR、私鉄ともに長期にわたって衰えており、今では見る影も無い。
残された鉄道はいま、どのような状況なのだろうか。
ここに鉄道統計年報というものがある。
ここから、運賃収入に注目して、いくつかの路線について分析してみよう。
定期旅客収入が意味すること
運賃収入は、定期(通勤)、定期(通学)、定期外の3種類に分けて知ることができる。
一見してわかるのは、伊豆急行の定期外旅客収入の多さである。
これは同線の運営が、主に観光客によって支えられているからだと考えられる。
伊豆急行ほどではないが、鹿児島市にも同様の傾向が認められる。
ただこの場合は、均一運賃で、繁華街への便も考える必要があり、必ずしも観光客の影響とは断定できない。
参考のために、大都市圏の大私鉄の代表として名鉄名古屋本線を挙げてみたが、これは定期の割合が高く、その中でも通勤定期の客が多いことが特徴的である。
この点に着目して、定期の客のうち、通勤と通学の割合を算出した。
すると、通勤が80%程度となる路線(岳南電車、静岡鉄道、名古屋鉄道)と、65%程度となる路線(駿豆線、伊豆急、鹿児島市)に2分されることがわかる。
思うに、人口の中で通学定期を使う人々(学生)の割合が全国で概ね一定だと仮定すると、通学に対する通勤の割合というのは、自動車との競争の上で、鉄道が持つ競争力の指標となっているのではないか。
(静岡鉄道)
なぜならば、通学定期の客は運転免許証を取って自動車を運転するのが困難だが、通勤定期の客は自動車を運転できるからだ。
そして、都市型(名古屋、静岡)の鉄道で通勤の比率が高いのに対して、地方型(駿豆線、伊豆急)の鉄道で低いのは、地方では公共交通のネットワーク全体が貧弱だからではないか。
早い話が、通勤それ自体は良いとしても、仕事帰りに役場に行こうとか、病院に行こうとか考えると、たちまち行き詰まってしまうのだ。
もっとも、この表では名鉄や静鉄と同じグループに入る岳南電車の場合は、名鉄や静鉄同様に住民に支持されているとは言えない。その理由は後述する。
また、全線が都市部に位置する鹿児島市については、この理屈では説明できない。
(鹿児島市)
通勤が50%以下の渥美線は、この中では例外的な存在である。沿線に愛知大学や複数の高校が所在することが大きいだろう。
(豊橋鉄道渥美線)
儲かっているのはどこか
次に、旅客運輸収入の総計(絶対値)を見てみよう。
(単位は千円)
これでは何が何だかわからない。そこで名鉄を除いて再度計算する。
(単位は千円)
明らかに岳南電車の存在は異様である。そもそも同線が地方にありながら、定期に占める通勤客の割合が高いのは、工場地帯に位置しており、沿線に学校も少ないという特殊事情による。
2012年に貨物輸送が廃止されて以来、経営を貨物輸送に依存していた同線は非常に苦しい状況にある。
(岳南電車)
一方で、伊豆急の収入が大きいのは、この中では同線の路線総延長距離が突出して長いことによる思われる。
伊豆急の45.7kmに対して、鹿児島市交通局は13.1kmに過ぎない。
そこで少し視点を変えてみよう。
先述のように、通勤/通学比が、沿線(線路沿い)からの支持の程度を表すのだとすると、
通勤定期旅客の量こそが、沿線住民がどのくらい鉄道を利用しているかの指標となるはずだ。
各線の通勤定期旅客収入は次のようになる。
(単位は千円)
駿豆線の健闘は驚きだ。
(伊豆箱根鉄道駿豆線)(現在は韮山反射炉は世界遺産に登録された)
沿線の人口でいえば、静岡市よりは遙かに小さいと思えるのだが。それを測るために、これを沿線市町村の人口で割ってみよう。
(単位は千円)
これで駿豆線と静鉄を比較すると、たしかに差が現れてくる。
だがそれ以上に目立つのは伊豆急の健闘だ。
しかし、通勤/通学比で言えば、伊豆急は沿線住民からの支持が比較的低い「地方型」ではなかったのか。
何のための鉄道、誰のための鉄道
思うに、伊豆急の沿線はこの中ではかなり特殊である。
全線が海と山に挟まれた狭隘な土地を縫うように走っている。
沿線自治体では、住民の多くが鉄道沿線に住んでいる。他に生活に適した土地が少ないからだ。
結果として、どこへゆくにも人々の動線がだいたい同線に沿っている。
そのことが、沿線人口の割に通勤旅客が多いという結果となるのだろう。
(伊豆急行)
このことは、鉄道の存在意義を考える上で重要な事実である。
要するに、人々の動線に乗れば、鉄道は利用されるのだ。
鉄道の存在意義は、移動が便利になること以上のものではない。
当たり前のことだが、鉄道は鉄道が有効な区間に敷設されてこそ意味があるのだ。