今やサッカーのクラブシーンはヨーロッパの独走であり、南米や他の地域のクラブの追随を許さないものとなっている。
その理由が外国人枠にあることは明らかだ。
ヨーロッパ、とりわけEU圏では外国人枠がほとんど有名無実となっており、世界中から有望選手を、ほとんど無制限に獲得することが可能となっている。
このため、力のあるクラブが各国の有望選手を寡占してエキサイティングなチームを作り上げ、人気の面で他を圧倒している。
これによって圧倒的な収入を得ることが可能となり、ますます他の地域との格差は開いている。
むろん、地域内での格差というものも無視できないものとなってはいるが、他の地域のクラブは競争すること自体が困難な状況だ。
サッカー以外のシーンでも当然、これと同じことが起こりうる。
ビジネスでも、しょせん「オール日本」では世界中から頭脳をかき集めることに成功した集団には勝てないし、国内に目を向けても地域の殻に閉じこもっていては全国区の集団には勝てない。
地域興しで大事なことは地域の力を結集することではなく、世界中の頭脳が地域に流入してくるようなモチベーションを喚起することだろう。
しかし、問題もある。近隣に巨大な人口を擁する超大国が存在するような場合、無制限に門戸を開くと、あっという間に超大国に飲み込まれてしまうのだ。
じつはサッカーはこの点でも明快な解決策を与えている。
Jリーグの外国人枠は以下のようになっている。
- 外国籍選手枠(外国人枠)の登録は1チーム3名まで
- アジアサッカー連盟(AFC)加盟国の国籍を有する選手は1名に限り追加可能
- Jリーグ提携国の国籍を有する選手は外国籍選手ではないものとみなす
おわかりだろうか。現行のルールでも、「Jリーグ提携国」なるものを利用すれば、先発全員を外国籍の選手とすることも可能なのだ。
それでいて、外国籍の選手を適度にコントロールしている。
ちなみに現在の「Jリーグ提携国」は以下のようになっている。
・タイ・ベトナム・ミャンマー・カンボジア・シンガポール・インドネシア・マレーシア・カタール
の八カ国だ。
おそらく現在の日本は東南アジアとの連携を国として模索しており、その点でもこの八カ国の選択は興味深い。
さて、ではサッカーを離れて、現実にはどの国の外国人が多く在留しているのだろうか。
実はこれには地域差がある。
全国的に見ると東アジア人(PRC:中華人民共和国、ROC:台湾政府、北朝鮮、韓国、モンゴル)が約半数を占める。これは誰しも実感しているだろう。
ついで東南アジア人が26%、ブラジル人が7%、インド系(インド、バングラデシュ、パキスタン、ブータン、ネパール、スリランカ、モルジブ)が6%を占める。
ところが、北関東の栃木県では東アジア人は26%を占めるに過ぎず、群馬県では19%にまで減る。
両県での最大勢力は東南アジア人で、どちらも34%を占めている。
特徴的なのは、全国的には7%にすぎないブラジル人が栃木県では11%、群馬県では22%を占めていることだ。
他のイスパノアメリカを含めた南米全体では栃木県で20%、群馬県で32%にもなり、群馬県では東アジア人を大きく上回る。
対照的に神奈川県では東アジア人が62%を占める一方で、ブラジル人は0.6%にすぎない。南米全体でも1.2%だ。
おそらくこれは産業構造の違いによるものだろう。
表では見えにくいが、欧米人の分布にも特徴があるので拡大してみてみよう。欧米人は神奈川県には多いが、北関東には少ない。
神奈川県に多い人々、つまり欧米人や東アジア人は知的労働や商売に従事していて、北関東に多い東南アジア人や南米人は工場労働者が中心なのではないかと推測している。証拠はないが。
それが事実なら、北関東の両県は、知的労働の集約に失敗しているということが言えそうだ。
実際には絶対数が大きく異なり、神奈川県には49万人の外国人が在留するのに対して群馬県、栃木県を合わせても外国人は9万人にすぎないので、それも考慮する必要がある。
さて、では東南アジアや南米には知的労働に従事すべき人材が無いのかといえば、おそらくそんなことは全くない。
彼らにとって日本の労働市場に魅力がないから来てくれないというだけのことだろう。
そこを改善すれば、より多くの人的資源が利用可能になり、日本も、あるいは地方も活性化するだろう。
何しろ数としては多くの人が来日してくれているのだ。移動や居住のインフラ自体はあるはずなのだ。
来てくれた人々の子弟が高い教育を受けて「ジャパニーズ・ドリーム」を実現できる道を整備するという方向性も考えられる。
外国人を雇用する目的が地域の振興である以上、必要な外国人は平社員ではなく社長であるべきなのだ。
なお一口に東南アジアといっても多様な国々が存在するが、調べた3県ではベトナムとフィリピンが他を圧倒している。
このうちベトナムについては一言述べておきたい。
現在、あるいは過去のベトナムの実際の状況は知らない。
だが、数十年前、昭和五〇年代のベトナムの日本における印象はきわめて悪かった。
ボートに乗って不法難民で来る人々。治安を乱す人々。
そんな印象を持っている人は多かったのだ。
だがそれは真実だろうか。
ベトナムは今でこそアルファベットを使用しているが、かつては朝鮮半島や日本と同じく漢字文化圏であり、多少なりとも儒教の精神を根底に持っている国である。
そしてアメリカ合衆国との戦争も勝ち抜いた根性の国だ。
ちょうど「ボートピープル」がベトナムの象徴であるかのように宣伝されていたころ、大きな戦争を終えたばかりのベトナムは別の大国と戦争をしていた。
結果として難民が出たのは事実だろう。
一方でベトナムが日本を含めた他の諸国と友好を深めることを嫌う人々が存在した可能性も考慮に入れる必要があろう。
受け入れ国としては、ベトナムという国、ベトナム人という人々をネガティブに捉える必要はなかったと思う。