沖縄県における、埋め立ての可否を問う県民投票まであと3日。

本稿では、この問題についても地方振興の観点から考えてみたい。




 

繰り返すがこの投票は、市街地に所在する普天間基地を廃止するために、この基地機能を別の米軍基地であるキャンプ・シュワブ内に移設する計画を進めるにあたって必要になる海洋の埋め立ての可否を問う県民投票だ。

よっくすがこの問題に関する一連の報道を読んでて感じたことは、いまの日本がきわめて健全な国家であるということだ。

野党も、活動家たちも、沖縄県知事も、この問題に関して口を極めて安倍首相の政策を批判している。

つまり日本では選挙で選ばれた民主的な政府の代表がこの問題の責任者なのだということを、反対派を含めたすべての派閥が信じて疑っていないのだ。

すなわち日本は軍事問題の文民統制が機能している国だということを認め、それを前提に議論しているのだ。

それは素晴らしいことではないか。

これがもし軍隊が自身の論理で基地問題を処理していたり、声の大きな一部の人々の意見で基地問題が左右されていたらどうだろう。

それはまさに五・一五事件だとか二・二六事件だとかの世界ではないか。

さて米軍は米国の、自衛隊は日本の組織であるから、その配置先はそれぞれの国民が最終判断を下す責任を負っている。

ただし米軍が日本に駐屯するのは米国政府と日本政府との協定によるものであるから、日本国を代表する政府が関与できるのは当然であろう。

そして47人の兵士を47都道府県に1人ずつ配置するのは非効率だし、航空母艦を長野県に配備するわけにもいかないから、その配置は自ずとどこかに偏ることになる。

それに対して、配置される地方は黙って従うしかないのだろうか。

たとえば自衛隊は栃木県にも配置されているが、これは栃木県の組織ではなく日本国の組織なので、その配置について栃木県民が決めることはできない。

とはいえ、実際に配置されればいろいろな問題が発生するし、逆に撤退すれば経済的な損害を被ることになる。

要するに、栃木県民は栃木県内の基地に対して決定権はないけれども、いわばステイクホルダーではあるのだから、何か意見や要望を国に対して上げることは少しもいけないことではない。

そういう意味では、沖縄県知事が沖縄県に所在する基地周辺の住民の意見を汲んで国に要望を上げることは、仮にそれが大多数の国民の意志に反していたとしても、知事の職務の一環として必要なことなのである。

さてでは、普天間基地廃止のためのキャンプ・シュワブ内の埋め立ての可否についてのステイクホルダーは誰なのだろうか。

それには4つの種類がある。
(1)名護市民、宜野湾市民
(2)在日米軍基地周辺住民
(3)日本国民
(4)米国民

(1)名護市民、宜野湾市民
米軍再編により基地がなくなる宜野湾市民と、基地機能が強化される名護市民だ。
いわば当事者である。説明の必要はなかろう。

(2)在日米軍基地周辺住民
米軍再編は他の米軍基地の機能にも影響を及ぼす可能性があり、基地周辺の住民の生活は他の国民よりは影響を受けやすい。

(3)日本国民
在日米軍の機能の一つは日本の防衛なので、そこに配置することがなぜ日本の防衛のためにベストだと言えるのか、日本国民は説明を受ける権利がある。

(4)米国民
米軍は米国の軍隊なので、そこに配置することにより米国にどういう国益をもたらすのかを米国民に説明する必要があるのは当然である。

したがって、名護市民、宜野湾市民の声は傾聴すべき意見であることは間違いないが、それはあくまで複数存在するステイクホルダーのひとつの意見なので、それのみで物事を決定することもできない。

日本は民主主義国家なので、他のステイクホルダーの意見や要望も無視することはできないのだ。

ただしこのように俯瞰すると、沖縄県民投票という枠組みがやや気になる。

というのは、基地機能の移設による影響が比較的少ない沖縄県石垣市民には投票権があるのに、より大きな影響を受けうる神奈川県横須賀市民や山口県岩国市民に投票権が無いからである。

つまり、「沖縄県」という枠組みが、上記(1)~(4)のいずれにも対応していないのである。

とはいえ、日本は民主主義国家であり、自由主義国家でもあるので、どういう形であれ投票が行われて結果が現れるのは、良いことだ。

もしかすると決定される政策は投票の結果に添ったものではない可能性もありえる。

独裁国家ならば投票結果を楯に強引に突っ走ることも可能かもしれないが、民主国家の政治制度のもとではそれは難しい。仕方が無い。

さらにいえば、実際に配備されるのは米軍なので、たとえば仮にどこかの国が国民投票で米軍の配備を依頼したとしても米政府が断ればそれでおしまいである。

つまり国民投票の結果ですら、認められなくても少しもおかしくないのである。

しかし、投票の結果で示される意向は、政策決定者に情報として伝わることは確実だし、他のステイクホルダーにも報道によって知らされるであろう。

その意向に添えればよし、またもしその意向に添えないとしても、次善の策としてどのような対応が可能なのかを考える契機になるかもしれない。

また、軍事基地の必要性を生じさせている他国の圧力を緩和するための外交的・経済的努力が増えるかもしれない。

さて前置きが長くなったが、ここから短い本題が始まる。

上記の通り今回の問題は沖縄県で発生しているが、米軍基地は他にも分布するので、その影響は全国に波及する。

基地問題に限らず、常にアンテナを張って、遠い地方で起こった事件が自分の地方に及ぶ影響を考える必要がある。できれば変化を利用したい。

そして補償である。

基地建設や維持のためにはいろいろな形での補償があったはずだが、全国共通の基準に照らしてそれが十分だったかどうかは再検証してもいいかもしれない。

たとえば土地を追われるという点では水力発電所の建設と、リスク施設の建設という点では原子力発電所や(場合によっては)ゴミ処理場の建設などと同じ種類の問題である。

そして金額よりも問題なのは、その補償が必ずしも地域の活性化に役立っていないケースもあるのではないかということだ。

何に使うにしても、次のお金を生み出す「システム」を構築する方向で使わないと、結局はアブク銭で終わってしまう。

補償をもらった市町村で、それを活かして雨後の竹の子のように新興企業が乱立し、一部が世界的大企業に成長する…というシナリオでも描ければ理想的なのだが。

補償の問題は金額についても使途についても全国で同一の課題を抱えており、基地問題を契機にその有効な運用法を考えてみても良いと思う。

 

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