「カントリーリスク」とは、wikipediaでは

「海外投融資や貿易を行う際、対象国の政治・経済・社会環境の変化のために、個別事業相手が持つ商業リスクとは無関係に収益を損なう危険の度合い。」と定義されている。




現今、いろいろな問題が日韓関係に影響を及ぼしているものと報道されているが、個々の事象に関する是非は本稿では論じない。

よくわからないからである。

韓国語も英語も読めないよっくすの情報源は日本国内の報道のみであり、相手国や第三国でどのように報じられているかを知ることができず、立体的に現象を再構築して真実を想像することができない。

だから論じない。

一説には、韓国は正義の概念に従って法律がコロコロ変わるので、日本ほど法律が安定的でないという報道も見た。

しかし問題はそこではない。

日本でも政権が変われば大なり小なり法律は変わるし、他のどこの国でもそうだ。

コロコロというか、抜本的に変わっても別におかしくないし、いけないことでもない。

さて、そこで本稿で取りあげる題材が「法の不遡及」の問題である。

法の不遡及とは、wikipediaでは「法令の効力はその法の施行時以前には遡って適用されないという法の一般原則」と定義されている。

つまり、現在の法律では違法でも、行為の時点で適法であれば適法であるということだ。

例えば、今日タバコが法律で禁止になったとしよう。

今日喫煙した人が法で罰せられるのは仕方がない。

しかしきのうタバコを吸った人は罰せられない。

これが法の不遡及である。

もし将来、鎖国になったとした場合に、海外渡航経験がある人は全員死刑だなどと言われたら困るだろう。

やはり法の不遡及は守られるべきだ。

将来、どのような法律が制定されるのかは誰にもわからない。

それなのに、過去に遡及して法律が適用される可能性があるならば、法律を綿密に調べて適法に行動しても無意味だ。

したがって国民の側から見れば、法の不遡及が守られないのであれば、はじめから法律を考慮せずに利益を最大化することを考えたほうがベターである。

これでは反社会的組織に支配される社会が到来してもやむを得ないのではないか。

それでは困るので、先進国では法の不遡及の原則は必ず守られている。

法律学の世界では、「法の支配」の次ぐらいに重要な原則だと思うが、そこまでかしこまって説明しなくても、その重要性は誰にでもわかるだろう。

これには例外もある。

たとえば、公害病の救済法を制定したとすれば、過去に発生した患者を救済しなければ無意味なので、その適用対象の患者は過去に遡って認められると思われる。

しかしその場合でも、問題企業に公害の賠償を請求できるかといえば、発生時点の法律に照らして違法行為が無い限りはかなり難しいと思われる。

結局、いくら法律の主旨が正しかろうが、過去に遡及して適用させてしまうと法の信頼性が損なわれ、その国の法制度自体が無意味なものになるのである。

さて、よっくすが本稿で敢えてこの問題を考えるのは、過去の記事で、地方振興のためには海外を相手にした商売が必要であることをしきりに訴えてきたからである。

日本国内における韓国に関する報道はすべて事実なのだろうか。

もし事実だとすると、その問題点は法の不遡及の原則が守られているかどうかという点にあると考えられる。

すなわち、韓国企業を相手に商売をするにあたっては、それなりのカントリーリスクを覚悟する必要がある。

それは、商売の利益が法令で守られるかどうかについて不安を持たざるをえないからでもあるし、そのような社会で国民がどの程度の遵法意識(法律は守られねばならないという共通意識)を持っているのかを慎重に推し量る必要があるからでもある。

もっとも関係を断ち切る必要はない。

独裁政府が法律を恣意的に運用するためにまともな商売が成立しないというような事例は、過去には他の国でもあったと聞いている。

そうした国に限って魅力的な資源を産出したりするので、命知らずの日本の商社マンたちが危険を冒して入り込んでいったとか。

いま必要なのは、韓国に関する情報がどの程度事実で、どの程度のカントリーリスクが発生しているのか(いないのか)を正確に把握することだ。

そして、もし報道が大なり小なり事実の部分があって、その方向性について第三国の活動の影響があると仮定するならば、その活動は当然日本でも行われているはずだから、日本であふれる韓国に対してあまりに過激な言動についても、いちおう疑いの視点を持って見つめる必要もあろう。

 

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