ヨーロッパの一角に、かつてユーゴスラビアという国があった。
いまは七つの国に分裂している。
(旧ユーゴスラビアの地図@imagenavi)
サッカーの世界では、クロアチアとセルビアが世界的な強豪だ。
もしも1つの国のままだったら今頃どんなに強かっただろうと、ため息が出てしまう。
だが、それはできない。
1991年以来の、血で血を洗う内戦を戦った間柄だ。
なぜそこまでして戦わなければならなかったのだろう。
よっくすはかつて、学校で「セルビア・クロアチア語」という科目を目にした。(履修はしなかったが)
2つも学ぶのは大変だなと思ったが、そうではなかった。
同じ言語だったのだから。
同じ言葉を話す人間同士が、あちらはセルビア人、そちらはクロアチア人と区別して殺し合ったのだ。
もちろんそこには歴史的経緯がある。
同じ南スラブ人だが、スロベニアは長らくドイツの一部であった。
クロアチアはハンガリーの一部で、モンテネグロはイタリアに支配されていた。
セルビアは独自の国家を形成していた。
だがハンガリーもセルビアもトルコに征服されてしまった。
その過程でイスラム教徒(ムスリム)が増えたのがボスニアだ。
だから彼らが次々とトルコから独立する中、ボスニアは最後までトルコに残った。
こうした経緯からそれぞれが異なった文化を作り上げてきた。
それが端的に表れているのが、カトリックのスロベニアとクロアチア、正教会のセルビア、ムスリムのボスニアという、宗教による色分けだ。
ボスニア出身のサッカー選手、ヴァイッド・ハリルホジッチはムスリムであった。
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だがそれは、本当に民族を区別して殺し合わなければならないほど重要なことだったのだろうか。
真言宗のあなたは日蓮宗のあいつを殺さなくてはならないのか。
言語が違っても、上海も広州も北京と仲良くやっているではないか。
「ユーゴスラビア共和国(南スラブ共和国)」は、苦労の末にやっと手に入れた統一国家ではなかったのか。
もったいないのがサッカーだけであれば良いが、経済の面でも同様の問題は当然発生する。
極論すれば、彼らは豊かな生活を自らなげうち、貧しくなるために、同じ言葉を話す者同士で殺し合ったのだ。
だが、ここで忘れてはならないことがある。
ある国家の分裂は、周辺の国家にとって望ましいことだということだ。
それが端的に態度に表れたのがナポレオン三世であった。
フランス皇帝ナポレオン三世は、周辺に強国が形成されるのを予防するために、統一の機運が盛り上がるイタリアを四カ国に編成するプランを持っていた。
だが彼の構想は失敗し、心ならずも統一イタリアの誕生を許すこととなった。
国民の支持を失うこと、そしてフランスの国際的な地盤沈下を恐れたナポレオン三世は、同じ轍は踏まじとドイツ統一を力づくで阻止しようとして戦争に敗れ、身を滅ぼした。
現代では、ある国家が別の国家の分裂を支援することはできない。
それは内政干渉だし、それだけの力を持つ国は、自らも民族問題を抱えているのが常である。
だが、勝手に内輪げんかして、分裂してくれれば言うことはない。
京都弁と大阪弁の違いを言い立てる人もいるぐらいなのだから、違いなど探せばいくらでもある。
スコットランドの独立はスコットランド人を貧しくするだろうし、カタルーニャ独立はカタルーニャ人の繁栄を終わらせるのではないかとよっくすは思う。
だが周辺諸国にとっては、そうなってくれれば都合が良いのだ。
英国のEU離脱は、おそらくEUにとっても英国にとっても利益にならないが、他の大国にとっては望ましいことなのだ。
もちろん勝手にそうなってくれたら言うことはないが、もしも勝手にそうなるような手立てがあるなら、活用しない手はないだろう。
当然、いつか我が国にもそういう働きかけがあるかもしれないということは、いつも頭に入れておく必要があるのだろう。
無意味な感情に煽られて不幸にならないために。