日本の教科書では、朝鮮半島の三国時代の三国を「こうくり(高句麗)、しらぎ(新羅)、くだら(百済)」と称する。


韓国人の著作を見ると百済は「ペグジェ」とあり、漢字を中国語式に(韓国語の発音で)読んだのだなとわかる。

しかし「くだら」とは何だろう。

思うに、少なくとも百済が存在した時点では、おそらく百済に住んでいた誰かが、「くだら」に近い読み方をしていたのだろう。

もしくは「百済」とは別に「くだら」という呼び方があったか。




百済については、日本との関係も気になる。

日本では各地に「コマ(高句麗)」「新羅」といった地名があるが、日本との関係が最も深かったはずの百済にちなむ地名は少ないように見える。

それも不思議なことだ。

まるで日本が百済の一部だったかのようだ。

百済滅亡後にも、奈良時代の百済王敬福、平安時代の百済王俊哲といった貴族が日本の朝廷で活躍したことが知られる。

ただ、百済王氏はあくまで中級以下の貴族であって、このことから日本=百済ではないということは知れる。

それに日本=百済なら、任那日本府と百済の関係がわからなくなる。


ところで百済王氏は「くだらのこにきし氏」だ。

百済王氏自身が「くだら」という読み方を、特に疑問も持たずに受け容れていたように見える。

ということは、百済では自分の国を「くだら」と呼んでいたのかな?と考えたくなる。

さてそうすると、現代の朝鮮半島で百済を「くだら」もしくはそれに近い読み方をしないのはなぜなのか、逆に不思議になってくる。


Wikipediaによれば、じつは百済や高句麗、あるいは新羅でそれぞれどんな言葉が話されていたのかは不明なのだという。

百済が扶余系の国家であったという仮説を信じてwikipediaを調べると「扶余語族」なる記事が見つかる。

その英語版を見ると。。。何と「Peninsular Japonic」とあるではないか。

半島の日系人、という感じか。

wikipedia的センスでは、

扶余=高句麗・百済・倭人=日系人

だということのようだ。

それによれば、当時半島には日本列島と同じく日本語系の言語を話す人々が住んでおり、あとから侵入してきた朝鮮語系の人々に征服され、消えていったのだという。

にわかに信じがたいが、そう考える人もいるということだろう。


Wikipediaは誰でも編集できるから、ある意図を持った人や知識が偏った人が編集している可能性もある。

たとえば「縄文人」とか「琉球人」とかいう項目で日本語版と英語版を比較すると、かなり混乱する。

また「チベット人」の日本語版と英語版を読み比べても、やや違和感を感じる。

そんなわけで、wikipediaを盲信するのも危険だとは思うが、お話しとしては面白い。


さて、こうした筋書きならば、日本書紀に見えるという大和時代の任那日本府の陥落や、百済滅亡後の白村江の戦い、あるいは日本語と類縁関係のある言語を話していたとされる済州島が室町時代に朝鮮へ完全併合されていく流れも無理なく理解できる。

残念なのは、朝鮮半島には古い時代の文献が無く、日本や中国の文献、あるいは考古学的史料に基づいて考えざるを得ないということだという。


疑問もある。

Y染色体に注目した遺伝学的解析によれば、ハプログループDなるグループは日本、チベット、アンダマン諸島では主流だが、他では存在しないのだという。

日本では、この遺伝型の存在比率はアイヌで最も高く、ついで沖縄となり、関東・東北や南九州では比較的高いが、近畿、中国、四国、北九州等では低いそうだ。

これら西日本では、朝鮮半島や中国との共通性が、他の地域よりも高い。

つまり、沖縄や北海道では中国・朝鮮との混血の度合いは少ないが、西日本では中国・朝鮮との混血が進んでいるということだ。


このような遺伝子型の分布は、上の「Peninsula Japonic」の分布域の変化の仮説と矛盾無く説明できるのだろうか。

たとえば誰が大陸系の遺伝子を持ってきたか、だ。

大和朝廷だろうか。

時期的には、大和朝廷が成立した時点で百済はまだ存在した。

したがって百済がPeninsula Japonicで、かつハプロタイプDだとすると、大和朝廷が大陸系の民族だというのは、おかしい気がする。


新羅にも日本出身の王がいたというが、そうなるとますますわからない。

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この時代に日本と朝鮮という二分法でこの地域を捉えるのはあまり意味が無いのだろう。いくつか国はあっただろうが、地域全体を治めるほどの強力な国家はまだ無かっただろうし。

日本や朝鮮を含む一帯に、いくつかの小国家が乱立しており、国家として組織されていない部族も多数存在した、という感じだろうか。

今よりずいぶん人口も少なかっただろうから、無人地帯も広々と存在したことだろう。

そこは頭に入れておかなければいけない。

ところで、そんな時代に無数に存在したであろう小国家の一つが、現代にもまだ「日本国」として残っている。

すごいことではないだろうか。


ストーリーはよくわからないが、いずれにしても日本と朝鮮半島は、歴史が始まって以来ずっと同一の地域圏の中で共存してきた。

どちらも、かつては中国の辺縁に張り付くように生き、今は米中両国の狭間で両方の様子をうかがいながらひっそりと生きている。

結局のところ日本だけ見ても日本はわからないし、韓国だけ見ても韓国はわからないのだろう。

 

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