今年も原爆の日の季節がやってきた。
言うまでもなく、広島・長崎における原爆投下は、現時点までで世界で唯一の核兵器の実戦投入例である。
原爆の日に、原爆の被害に思いを致し、核兵器の廃絶を希求するのはたいへん意義深いことだ。
現実の問題として、核兵器はいっこうに減らず、むしろ拡散する傾向にあるように思える。
だが、そんな現実の中にあっても、少なくとも理念として「核兵器はいけない兵器」という認識が世界的に共有されるだけでも意義はあるし、そのために広島・長崎は大いに貢献しているといえよう。
原爆投下の時点で、戦局の大勢は決していたと言われる。
そして、原爆投下は民間人を区別しない大量破壊兵器を使用した大量虐殺であって、一種の戦争犯罪であるのではないかという議論もある。
その一方で、「原爆投下が戦争の早期終結に貢献して、結果として戦争死亡者数の抑制に貢献した」という認識があることも、知られるところである。
この問題は本当に難しい。
よっくすも、とある外国人(米国人ではない。中国人、韓国人でもない)から、「日本は米国に原爆まで落とされてひどい目に遭ったのに、なぜ米国に復讐しようとしないのか?」と詰め寄られて、どぎまぎしてしまったことがある。
実際の日本は、原爆の被害に最後の背中を押される形で降伏に至った。
しかし国や状況によっては、原爆投下のような行為が降伏寸前の国の敵意を呼び覚まして、「最後の一人まで」といった自殺的な抵抗を引き起こさないとも限らなかったのではないか。
(写真は本文とは関係ありません。撮影地は広島県・長崎県ではありません)
そういうことを考えると、原爆の被害を楯に、しつこくアメリカ合衆国の非道を訴えていけば、もしかしたら謝罪を受け、幾ばくかの金をせびり取ることはできたのかもしれない。
その代わり、広島・長崎の記憶は、世界の片隅の単なるローカルなイベントに終始したことだろう。
しかし日本はそうしなかった。
「核兵器の使用がどれほど恐ろしい結果をもたらすか」「だから人類は核兵器と訣別すべきだ」ということを普遍的な価値として世界に訴えたのだ。
これは大きな説得力を持ったと思う。
もしも日本がアメリカ合衆国の責任を追及し、アメリカ合衆国に謝罪と賠償を要求していたら、2016年のアメリカ合衆国オバマ大統領の広島訪問は無かったであろう。
もしも広島訪問が、アメリカ合衆国の責任を認めるメッセージになるのだとしたら、米国大統領の広島訪問はありえない。
そうではなく、広島訪問が、核兵器廃絶への祈りという普遍的な価値観に共感したというメッセージ性を帯びると確信したからこそ、彼は来たのではないだろうか。
焦土に立って、広島・長崎の人々、当時の日本の人々がしたことは、被害者として誰かに対して惨劇の責任を追及することではなかった。
そうではなくて、被害者にしかできない方法で、どのような立場の人も共感できる価値観を提案したのだ。
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原爆投下直後の広島の写真などを見ると、こんなことが可能なのか、こんなことが許されていいのかと思う。
だが、広島・長崎は、その惨劇を踏まえて、世界が共感する価値観を創造することに成功した。
そんな日本を、よっくすは誇りに思う。