平成19年1月というから、いまから12年も前のことだ。

当時の厚生労働大臣の発言が問題視された。

「15-50歳の女性の数は決まっている。」

「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」

こういう内容だ。この発言は大いに問題視され、当時の安倍内閣の支持低迷の一因となった、と思う。




さて、ではこの発言の何がいけなかったのだろう。

人間を機械に譬えたことだろうか。

たぶん、当時そう考えた人は多かったと思う。


じつは、人間を機械に譬えた例はたくさんある。


まず思い浮かぶのがこれだ。

「マシンガン打線」

これは平成10年にプロ野球で日本一となった、横浜ベイスターズ打線のことだ。


「ミサイル打線」

これは昭和35年にパ・リーグで優勝した毎日オリオンズの打線だ。しかし日本シリーズでは大洋ホエールズの投手陣の前に沈黙し、日本一は成らなかった。


「水爆打線」

これは昭和30年代前半にパ・リーグで強さを誇った西鉄ライオンズの打線だ。エースの鉄腕稲尾と水爆打線が噛み合い、3年連続で日本一となった。


「ダイナマイト打線」

これは昭和60年にセ・リーグを制した阪神タイガースの強力打線の代名詞となっている。


「スーパーカー・トリオ」

これは昭和60年ごろの大洋ホエールズの駿足トリオ、高木豊、加藤博一、屋敷要の3人を指したものだ。

どうやら野球と機械は相性がいいようだ。

日本より人権意識が高いと考えられるアメリカ合衆国でも例はある。

「ビッグ・レッド・マシーン」

これは1970年代にピート・ローズやケン・グリフィーを擁したシンシナティ・レッズの打線だ。

アメリカ合衆国においても、人間を機械に譬えること自体は問題ないことがわかる。


以上はチームを機械に譬えたものだが、個人だといけないのだろうか。


「精密機械」

これは、小山正明や北別府学といったコントロールに優れた投手を譬えたものだ。どちらかといえば褒め言葉だと思うが、記者は選手に謝罪して賠償すべきであろうか。


同様の例はサッカーでもある。

長友佑都選手がセリエAで活躍していた時代、無尽蔵のスタミナを「ダイナモ(発動機)」に譬えられたことは有名だ。

また、かつての日本のエース高木琢也選手は「アジアの大砲」と呼ばれた。

相撲においても、横綱北の湖はその盤石ぶりから「不沈艦」と讃えられた。


海外においては、チェコのランナー、エミール・ザトペックはその走りぶりから「Czech Locomotive」、すなわちチェコの機関車と称されたことが知られる。

続々と例が思いつくが、要するにスポーツと機械は相性がいいのだろう。


実は、人間を機会に譬えるのはスポーツに限らない。


かつて総理大臣を務めた田中角栄氏は、その仕事ぶりから「コンピューター付きブルドーザー」などと呼ばれた。

一般大衆が政治家を機械に譬えるのはよいが、政治家が一般大衆を機会に譬えるのはいけないということだろうか。

あるいは大臣の場合は、女性を機械に譬えたのがいけなかったのだろうか。


しかし英国首相サッチャーは女性であるが、「鉄の女」と譬えられた。

鉄は機械ではないが。


ちなみに、女性が女性を機械に譬えた例もある。

「LOVEマシーン(モーニング娘。)」


以上で再確認できたと思う。

人間を機械に譬えること自体は特段問題ではないのだ。

一般大衆を機械に譬えることも問題ではないし、女性を機械に譬えることも、過去の例に照らせば問題ではない。


だとすると、「装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」という発言は、何が問題だったのだろうか?

 

政治家は権力者だ。

常に批判にさらされている必要がある。

この発言が問題視されるのも、いけないことではないと思う。

だからといって根拠のない誹謗中傷はいけない。


もし批判するのならば、具体的に根拠を挙げて、何がどのように問題なのか、どの程度問題なのかを説明する必要があったのではないかなと思う。

もうひとつ言うならば、「一人頭でがんばってもらう」ための秘策があるのかどうか、あるならそれはどんなものか、よっくすはそこを聞きたかった。

 

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