明智光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのだろうか。
怨恨説、黒幕説その他多くの説が乱立しており、邪馬台国論争と並んで日本人が大好きな歴史の謎のテーマの1つである。
よっくすはその決め手になる証拠を持ち合わせているわけではないので、論争について特に言及することはない。
ここでは武家社会というものが、家中にある種の紛争を生む構造的問題を抱えていたことを指摘しておきたい。
まずは、武家社会の基本形となった鎌倉幕府について考えよう。
そもそも鎌倉幕府というものは、将軍の下に絶対服従の家来たちが付き従っていたわけではない。
教科書的には、どちらかといえばフランチャイズに近い体制を取っていたとされる。
各御家人の家はそれぞれ独立採算の組織であって、幕府というのはそれらが結成した組合のようなものである。
組合(幕府)に加盟した会社は「鎌倉殿御家人」なる看板を出すことができるので、国司などの公的機関との交渉を有利に進めることができた。
また、御家人(加盟店)同士の紛争は、組合の定めたルール、つまり「御成敗式目」によって裁定される仕組みとなっていた。
一方で、各社がどのように経営されるかは完全に各社に任されており、組合が干渉することはできなかった。
メニューも営業時間も各社の勝手である。
こんな組織ではあるが、加盟店同士の仲裁は絶対に必要だし、政府との交渉も組合で行うルールになっているから、組合の仕事はやはり重要である。
そしてその組合は、北条家をリーダーとする、加盟店社長の代表者たちのチームによって運営されている。
その最終決定権を持つ事務長(執権)が1人の加盟店社長にあるとすると、その決定に対してより強い影響力を及ぼすのは、同輩(有力御家人)であろうか、それとも自社の従業員(御家人の郎党)であろうか。
もちろん公的には加盟店の従業員には組合の運営に対する発言権などは無い。
しかし、事務長が自由に使える手足は自社の社員のみであって、他社に対してはあくまでお願いベースの交渉になる。
組合運営の参考になる情報は、結局のところ、その多くは自社の社員からもたらされるわけだ。
また、自社の経営自体が従業員に牛耳られ、社長がお飾りに祭り上げられるケースもありえる。
そういう場合には、加盟店各社から見ると、裁定を有利に進めてもらうためにはリーダー会社の従業員に対する働きかけが欠かせなくなってくるわけである。
こうした構造により、幕府の事務長の店の従業員と有力加盟店の間で、どちらが幕府を主導するかの争いが起こる。
霜月騒動とか平禅門の乱などという戦乱はこのようにして発生するのである。
こうした構造は、時代が下っても変わらない
江戸時代には将軍の同盟国(外様大名)と、将軍の手下(譜代大名)とを峻別して、幕府の運営は将軍の手下だけで進めるルールとした。
いわば将軍家の身内だけで幕府を運営することにしたのだ。
ところがこの場合でも、将軍家の子会社(譜代大名)と将軍家の直営会社の従業員(側用人)の争いが発生する。
新井白石の失脚などがそれだ。
そこで直営会社の従業員に子会社を与えて幕政参加の権利を与えるという方策も採られたが、そうして権力を握った田沼意次も結局古くからの子会社連から執拗に攻撃され、失脚の憂き目に遭ってしまった。
要するに、直営会社の従業員と子会社の社長会との争いというのは、封建社会では避けられない病弊なのだ。
織田家でも同様な構造を採っている以上、問題が発生しないはずがない。
織田家の特徴は、組織の急成長によって生まれたポストの余裕に対して外部人材を積極的に充当したことにある。
しかしその構造はやはり鎌倉時代以来の封建社会の基本から外れておらず、加盟店各社から成るフランチャイズ体制となっていた。
加盟店の社長である明智光秀、柴田勝家、羽柴秀吉らと、本部従業員である堀秀政、菅屋長頼、万見重元、森蘭丸らとの間には、潜在的に緊張関係が存在したはずだ。
組織の成長過程なので両者はうまく協調していたのかもしれないが、何らかのきっかけで暴発してもおかしくはない。
加盟店社長である明智光秀や羽柴秀吉らが、「君側の奸を除く」と称して本部従業員である信長側近を実力で粛清しようとしても、それは不思議なことではないのである。
「直営店従業員」側は自前の武力を持たないため、「主君の命令」によって政敵を葬ろうと試みることになる。
対して「加盟店社長」側は、直営店の経営に口を出す権利を持たないため、「先例」「伝来の権利」などを持ち出すだろうし、武力を用いた非常手段に訴え出ることも可能だ。
本能寺の変の時点に限ってみれば、室町幕府がいよいよ衰え、鞆に逃亡中の将軍足利義昭を毛利輝元が武力で支えていた状況であった。
織田信長はいうまでもなく将軍義昭を追放した叛乱軍の首領だ。
そして備中高松城を舞台に吉川元春の幕府軍と羽柴秀吉率いる叛乱軍が対峙する最中に本能寺の変が発生したわけである。
そうした状況で明智光秀が、家中のトラブルを原因として危険な賭けに打って出るだろうか。そこはよくわからない。
しかしそれ以前、林秀貞や佐久間信盛が追放された背景に、こうした紛争があったとしてもおかしくはないなと考える次第である。
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