古来、現在の群馬県と栃木県を合わせた地域は「毛野」と呼ばれていた。
正確に言えば那須は毛野のうちではないそうだが、要するにそれぞれ「毛野」「那須」と呼ばれた団体がいた、ということだろう。
毛野はその後、桐生川・渡良瀬川を境界として上下に分かれ、そのうち下毛野は那須を合わせて「下野国」となったという。
上毛野は「上野国」となった。
おそらく毛野には毛野と呼ばれる人がいて、それも上下に分かれたのだろう。
下毛野氏は古くから大和朝廷に仕え、その末裔から有名な下毛野公時が現れる。
金太郎なるニックネームで有名だ。
彼は18歳で亡くなっているが、熊を相手に相撲を取ったり、熊に乗ったりしたということだから、おそらく当時の京都では日常的に街中に熊が闊歩していたのだろう。
そんなわけはないが。
上野国は「こうずけのくに」である。
もとは「かみツけのくに」だろう。
毛野のうち、都に近い(かみ)ということだ。
不思議だ。
なぜ「かみツけのノ国」ではないのだろうか。
「ノ」はどこへいってしまったのだろう。
そもそも「ノ」は初めから無かったのではないだろうか。
つまり、「ケノの国」ではなく、「ケの国」だったのではないだろうか・
たとえば紀伊がそもそもが「キの国」であったように。
毛野を流れる川が鬼怒川である。
古くは毛野川と書いたそうだが、「ケぬ川」ということであろうか。
古い日本語の特徴を残すと言われる沖縄の言葉では、たとえば「南ぬ島石垣空港」に代表されるように、京都で「ノ」と言うところが「ヌ」となっていることもあるようだから、ケぬ川でもおかしくはないだろう。
東日本も沖縄と同様に、中国・朝鮮の影響が比較的小さかったから、古式の日本語の痕跡が残ったのかもしれない。
沖縄までゆかずとも、鹿児島では「島の人」を「しまンし」と読む。
「島の人の宝」なら「しまンしンたから」だ。
「ノ」よりは「ヌ」のほうが「ン」に変化しやすいような気がする。
だが、不勉強のためその辺はよくわからない。
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ところで、日本の都道府県は、県庁の置かれた都市、もしくは郡の名前を冠している。
例外は北海道と愛媛県の2例のみである。
これは、交通の要衝に県庁を設置し、その県庁の管轄する範囲が県域だったからであろう。
それを裏付けるように、たとえば福島県や長野県などでは、県庁の位置は全国を俯瞰してみれば県内一の要衝ではあるが、県内では偏っている。
また、明治期には「○○県下△△郡××村」などと称されていた。
すなわち、県とは県庁のことであって、県域のことではなかったのだ。
そう考えると、県名が県庁所在地名と一致しないほうがむしろ不自然だとわかる。
とはいえ、すでに廃藩置県から150年。
いまやすっかり県は県域を意味するようになってしまった。
その結果、宮津や福知山の人が「京都から来ました」といって誤解を招くような、困った事態になってしまった。
京都府下から来ました、であれば何の問題もないが、既に死語と言っていいだろう。
そこでどうか。
古式にのっとり、群馬県、栃木県の人は「私はケぬ国から来ました、ケぬ人です」などと自己紹介してみては。
よっくすには恥ずかしくて無理だが、「栃木県人です」というよりもおしゃれではないか。
言われても意味が分からないが。
同様な言い方が可能な県として、和歌山県が挙げられる。
また、伊予、伊勢などの「伊」は語調を整えるためのものだそうだから、それらも同様の言い方ができる。
まあ、wikipediaを見れば「下毛野国」には「しもつけののくに」とフリガナが振ってあるから、すべては妄想にすぎないのだが。