関所は現代ではほぼ廃絶したかに思える。

観光名所になっているところもある。




一口に関所といっても、その意味するものは2種類存在する。

どちらも人の流れをせき止める関門であるには違いないのだが、1つは、通行人をチェックするための関門であり、もう一つは関銭を取り立てるための関門だ。

1つ目の意味で用いられるのは、たとえば江戸時代に江戸への入境をチェックした箱根、小仏、碓氷などの関所群がこれにあたる。

それよりはるかに古い、愛発・不破・鈴鹿の各関所は京都への出入りをチェックするための関門だ。

また陸奥・出羽の国境に設けられた鼠ヶ関、白河の関、勿来の関などの存在は、当時は陸奥・出羽が外地として意識されていたことを物語る。

中でも白河の関は、大相撲の親方株の1つである二所ノ関の名でも知られる。

2つ目の意味での関所は、道路に設置して関銭と称される通行料を徴収するもので、畿内などでよく見られるが、集めた関銭は主として道路の維持管理に用いられたと考えられる。

少なくとも名目としてはそうであろう。

もちろん、過大に徴収して村落を裕福にした場合もあったであろう。

ときには次から次へと関所が現れて、通行に大きな出費を要した場合があったことも知られる。


さてこのように考えてみると、じつはどちらの意味での「関所」も、ほぼそれに相当するものが現代にも存在することがわかる。

まず1つ目の、箱根の関に代表する通行人チェック型の関所は、入国審査そのものだ。

ここでは麻薬やその他の禁制品がチェックされたり、危険人物が摘発されたりする。

水際で犯罪を防止するために、重要な役割を担っていることはよく知られている。

江戸時代の箱根の関は「入鉄砲に出女」などといわれ、徳川幕府の圧政の象徴のように理解されることもあるが、現代の入国審査と比較して考えれば、必要不可欠な業務を粛々と遂行していたことが理解される。

もちろん現代に比して刑罰が重い傾向はあったかもしれないが、それは市中の犯罪についても同様であって、特に関所の存在が幕府が圧政をしいた証拠だとは言えないのである。

つぎに2つ目の通行料徴収型の関所だが、これは高速道路の料金所そのものではないか。

もちろん通行料が過大であれば問題だが、料金が適正である限りは、特に問題視する必要は無いと思われる。

むしろ道路が荒れて通行不能になるほうが問題だし、通行料を徴収しなければ、結局は租税もしくは無償労働によって対応するほかはないのだから。

ここまでで理解できたように、じつは通行人チェック型、通行料徴収型のいずれの型の関所も、現代にも厳として存在するのである。

 

よっくすが問題だと思うのは、同じものが時代を越えて存在するのに、呼び方が違うのは良くないのではないかということだ。

古代に関所と呼んだのなら、現代も関所と呼ぶべきではないか。

そうすれば、特に学校で教えなくても歴史における関所の意味は自ずと誰にでも理解されるし、余計な混乱や無用な手間が省けるのである。

ただし、2種類の「関所」をいずれも「関所」と称してしまうと、それはそれで混乱を生じる。

ここはひとつ、高速道路の料金所を「関所」と称してみてはどうだろうか。

 

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