今年もクリスマスが来た。
枕元に靴下を置いて、サンタさんの来訪を心待ちにしている子どもも多いだろう。
ではそのサンタさんは何人いるのだろう。
サンタクロースの起源となった聖ニコラウスは345年もしくは352年に没したという。
Wikipediaで見ると、2~4世紀ごろの世界の人口は2億~3億人程度だったようだ。
しかし現在では80億人程度とされている。
もちろん、プレゼントを頂戴できるのは原則的にキリスト教徒に限定されるのだとは思うが、当時弱小の宗教だったキリスト教徒の増加は、人口そのものの増加よりも一段と著しいはずだ。
今やキリスト教徒は世界で20億人以上いるそうだが、聖ニコラウスの時代にまさか全世界の1/4がキリスト教徒だということはなかっただろう。
そのうえ、現代では特にキリスト教国というわけでもないのに国民を挙げてサンタクロースからのプレゼントを期待するような厚かましい国もある。
ということは、聖ニコラウスが亡くなった時点と比較すれば、サンタクロース氏が配送すべきプレゼントの個数は少なく見積もっても100倍以上にはなっているのではないか。
しかもそのうちのかなりの数は、事前にニーズの調査まで行っているようである。
いかにサンタクロース氏が超人的な能力の持ち主であっても、何億個ものプレゼントを一夜にして配り切るというのはたいへんである。
もちろん地球には時差があるから、使用可能な時間は24時間ぐらいはあるのだと思うが、プレゼントの数量と見比べてみれば焼け石に水ではないか。
5Gの導入など、科学技術の発達も著しいから、そういった最新の傾向を導入してはいるのだろうが、それにしたって限度がある。
それに、もしサンタクロース氏がそのような能力を持ち合わせているのであれば、それを発揮するのが1年に1度きりというのは実にもったいない。
クロネコや西濃が常勤の職員として高給で雇うべきだろう。世界の運送の効率は劇的に改善し、我々の生活はより豊かになるはずだ。
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しかしそのようなことは起こっていない。
考えられる理由は1つ。
プレゼントを受け取る子どもの数の増加に応じて、サンタクロースも増えてきたに違いない。
コストの問題もある。
聖ニコラウスの時代より人口が増えたということは、当然にプレゼントに要するコストが増加するということでもある。
森で拾った宝石、手製の玩具といった類のものであれば、たしかに材料費はかかっていない。
しかし社会人の皆様であれば、採取や製作にかかる労働もまたコストだということは承知しておられるであろう。
さらに言えば、子どもたちが受け取るプレゼントは玩具店や電機店で販売しているような物品が主流であり、とてもサンタクロース氏が自前で作ったり拾ったりしてきたものだとは思われない。
プレゼントに要するコストもサンタクロース氏が負担しているのであれば、いかにサンタクロース氏が大富豪であっても早晩破産してしまうであろう。
子どもたちが喜ぶのとは裏腹に、どういうわけか親の貯金通帳からはプレゼントに見合った金額が目減りしているようだが、租税のような形で徴収されているのであろうか。
そうだとしても、徴収にかかる費用というのもあるはずだから、サンタクロース氏が1人であるという仮定では、人口の増加に伴ってシステムが破綻してくるように思われる。
以上のような根拠から、やはりサンタクロースは増えているに違いない。
実際のサンタクロースが何人いるのかは、政府の公式の統計にも掲載されていないので、よくわからない。
しかし、1人ではなく、子どもたち1人1人の心のうちにサンタクロースがいると仮定すれば、子どもの数については無限の増殖を許容できる理屈になる。
もちろんそれが正しい数を示しているという根拠も何もないのだが、子どもたちの手元にプレゼントが届くのがサンタクロース氏のうちの1人のご配慮であり、そのご配慮によって子どもたちが喜ぶというのであれば、親もそれに伴う多少の金銭と労働を負担してもいいような気がする。
親においては通常はそういう自覚も無いだろうが、そうしたサンタクロース諸氏のご配慮が全く無いとは言い切れまい。
もし親が全く自分一個の発意によって子どもたちにプレゼントを用意するのであれば、何もその日に拘る必要はないのだから。
まずはそうした機会をいただけることを、サンタクロース諸氏に対して感謝したいところだ。
サンタクロース諸氏のみならず、私たちの生活は、神社や仏閣やその他のそうしたご配慮の数々に包まれているのだろう。
そして子どもたちにも、神であっても仏であっても、またその他の何かであっても、そうしたご配慮への感謝と報恩の気持ちを生涯忘れないでほしいと思う。