Wikipediaでは「既得権」という項目はないようだが、代わりに「既得権益」というものがある。
それは「時流にそぐわなくなった特権としてその社会的集団を非難するときによく使用される。」ものだとされ、問題点がいろいろ指摘されている。
既得権者といえば、かつては家柄によって富を独占していた貴族とか地主とかであった。
現代においては、まず思い浮かぶのはサラリーマンであろう。
そう、よっくすは既得権者である。
過去の勉強や強運によって「正社員」なる地位を獲得し、そこにしがみついて離さない既得権者である。
もちろん、過去の努力やその成果のごほうびとして現在の地位があるわけだが、それって先祖の戦功とかで城主の地位に安住しているのと変わらない。
最近、コロナ禍のもとで政治家とか医師会とか、いろんな人たちが既得権者として非難を浴びている。
しかし選挙の洗礼を受けた政治家や起業にチャレンジした企業の創業者は、少なくとも個人としてはチャレンジャーであって、既得権者とはいえない。
たとえば王選手ももう80歳。
かつて三冠王、そして13年連続の本塁打王に輝いた王選手だが、現在巨人の4番を打っているのは岡本選手であって王選手ではない。
王選手の実績は岡本選手を圧倒しているが、明日の試合で本塁打を打つ確率が高いのは、王選手よりも岡本選手である。
「正社員」というのは、要するに王選手が80歳になっても4番を打っている状態である。
即刻クビにしなければならない。
とはいえ、われわれ正社員の側にも言い分はある。
きまりきった事務的な仕事を消化すること、得意先の有象無象と対戦して、情報を整理してルールを参照して処理すること、ときに上司にごまをすること。
そのくらいしかできることがないのに、もしクビになったら、明日からどうやって暮らしていけばいいのか。
そう、会社をクビになったら困るというその事実が、自分が既得権者であることを明瞭に示している。
能力に見合った身分と給料を享受しているのであれば、今の会社をクビになっても別に困らないはずだから。
もちろん、そうでない優秀なサラリーマンも多数存在することは承知しているが、社会全体としてはそれが全てでないことも事実である。
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さて、このような既得権者を大量に抱えたままではイノベーションは起こらないし、そんな体制では百万年たっても中国に勝つことはできない。
そこで社会にお願いしたいのだが、既得権者である我々サラリーマンが、社会の正義に従って裸で社会に放出されたときに、どのように生計をたてていけばよいのか。
今の身分が分不相応であるとしても、それを失うと一挙に全てを失ってしまうというのはあまりに酷ではないか。
能力が無ければ、あるいは老いて衰えたならば、一段ずつ階段を降りていくように、ゆっくりと貧しくなっていくような、そんな制度を構築していってほしいものである。