プロ野球においてエースとは何か。
西鉄のエース稲尾。巨人のエース江川。
どちらかといえば印象で語られることが多い「エース」の称号だが、何か客観的に定義する指標はないだろうか。
投球回数を目安にエースを探る。
続いては1960年代。
世はオリンピックに沸き、新幹線や高速道路なども開通した。
セリーグでは、城之内が活躍した読売を除いて、前後半で顔触れが入れ替っている。
国鉄の金田が移籍して姿を消したのが象徴的だが、広島の大石、中日の権藤、大洋の秋山も後半には名が見えなくなる。
代わって中日の小川、ヤクルトの石戸が現れるが、広島や大洋は絶対エースの後継に苦労している。
大阪は引き続き小山の独擅場かと思われたが、力量が拮抗する村山が現れて競うかたちとなり、小山の移籍後はバッキー、ついで江夏が現れる。
エース級の投手が次々と現れて長期にわたり活躍するさまは見事であり、ここまでの時期、大阪(阪神)はセントラルリーグで最も投手力が充実していたといっていいだろう。
パリーグでは、阪神から移籍した東京の小山がさすがの活躍だ。
つづいて次世代の輿望を担う成田が顔を見せている。
西鉄は稲尾から池永に、東映は土橋から尾崎、そして森安と大エースが登場している。
しかし杉浦・皆川の二枚看板を擁する南海は1950年代と同様に不安定である。
もちろん次々と新顔が登場すること自体は悪いことではないが、スタンカはともかく、林も渡辺も実績の面では一歩劣り、どうも投手陣の整備に問題を抱えていたのではないかと感じられる。
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国鉄の金田は13回、阪急の米田は10回、チームで最も多くの投球回数を記録している。
前の10年よりも顔ぶれが安定しており、各チームで陣容や運営システムの整備が進んだものと思われる。
その一方で、おそらく資金力や競技力の問題もあって少数の投手に依存していた時代であり、強いチームでも1人の投手が何年も続けて看板を背負う傾向が強い。