プロ野球においてエースとは何か。
西鉄のエース稲尾。巨人のエース江川。
どちらかといえば印象で語られることが多い「エース」の称号だが、何か客観的に定義する指標はないだろうか。
投球回数を目安にエースを探る。
続いて1970年代。
高度成長に沸いた世は石油危機で水を差されたものの、依然として成長基調にあった。
プロ野球はONの人気に沸いた。
ONを擁する読売ジャイアンツは堀内と高橋一の2枚看板。しかしV9が終わった後は小林繁と新浦が台頭している。
広島は外木場が軸だが、絶対的といえるほどではない。1度しか顔を出さない投手も多く、その年に調子の良い投手を使い倒す印象だ。次世代のエース北別府の名が見える。
大洋の平松、阪神の江夏、ヤクルトの松岡はエースの呼び声にふさわしい活躍。
しかし、これらの各球団でもこの期間の後半には、名投手の後釜が現れるというよりは、毎年異なる投手の名が挙がるようになる。
江夏が去った阪神は江本の活躍の後、読売から移籍の小林繁が現れる。
江川を獲るために読売がエースを放出したことがわかる。
意外なのは中日。印象が強い星野仙も2回現れるが、この時期エースの活躍をしたのはむしろ松本である。
セリーグを通じていえば、絶対エースの時代はこの期間の前半で終わり、ローテーションを重視する時代に移行したように見える。
いっぽうでパリーグでは全球団が絶対エースを擁する様相。
ライオンズの東尾、阪急の山田、近鉄の鈴木はこの期間を通じて活躍した。
ロッテでは成田の後に村田、フライヤーズ(ファイターズ)では金田の後に高橋直と、期間の後半になっても絶対エースが現れる。
南海は一枚看板とはいえないが、それでもどの投手も複数回名前が見える。
小林繁と同様、江本(南海・阪神)と金田留弘(東映・ロッテ)も複数の球団でエースの働き。
ローテーション重視への移行が、セリーグと比較してやや遅れた印象だ。
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現代の視点で見れば、1人のエースに依存する体制が良いとはいえない。
しかし、混乱の草創期はもはや過去のものとなり、ある種のシステマティックな選手運用が確立したとは言えるのではないだろうか。
確立した体制を批判的に検証することによって、より新しい優れたシステムに置き換わっていくし、セリーグではこの期間の後半にはその萌芽が現れている。