長く続いた戦国時代は織田信長によって収束の方向性が示され、後継者たちによって戦乱の世は終わった。

現代に生きる我々から見れば、まさしく織田信長こそが戦国時代を終わらせた最大の功労者であり、人々の恩人である。

それでは同時代の人々の目に、織田信長はどのように映っていたのであろうか。




織田信長は、当時としては画期的な、いろいろな新機軸を導入した。

とはいえ、楽市楽座などは先例があるものであり、すべてが織田信長の独創ではない。

それに、当初は足利義昭を将軍に担ぐなど、必ずしも旧来の政治制度を全否定したわけでもない。

しかし織田信長は、将軍義昭を追放した後に代替の将軍を立てなかった。

代わって、信長自身が参議、右大将、内大臣と次々と昇進を重ね、官位の面で将軍義昭を追い抜いて武士の最高位に立った。

してみると織田信長は、旧制度を否定はしないが、時代の趨勢に合わせて改良していこうとしていたように見える。

さて本稿の題目は、そうした織田信長の姿勢が、一般人の目にどのように映っていたか、だ。

織田信長は、室町体制をぶっ壊して新しい体制を築きつつあった。

そして、そのことによって戦乱の世は終息に向かいつつあった。

そうした織田信長を、世人は高く評価したであろうか。

逆であろう。

何しろ、人々は室町体制のうちに200年も生きてきたのだ。

そもそも大名同士が争うのも、あくまで室町体制の枠組みの中で権利関係に衝突が生じた結果なのだから、あくまで室町体制を前提としていたのである。

農民だって、良い大名や良い領主が現れて、規定以上の租税を徴収せず、盗賊や無法者を取り締まって、今の土地に安住する暮らしを守ってくれることを願っていたはずだ。

大名だって農民だって、もしも室町体制が無くなってしまったら、今の生活を成り立たせている大前提が無くなってしまって、明日から路頭に迷う。

本当に路頭に迷うかはわからないが、少なくとも、そのように考えてはいただろう。

要するに、上も下も、望んでいたのはあくまで室町体制の再建と安定だったのではないか。

そしてそれを果たしてくれるヒーローの到来を望んでいた。

しかし織田信長は、室町体制を根本から覆してしまった。


現代からみれば、室町体制が不備であったか、時代に合わなくなったからこそ戦乱の世になったのだと思うし、だから戦乱を収めるには室町体制に代わる新しい体制が必要だったのだろう。

ではあっても、当時の人々から見れば、織田信長は、自分たちの生活を根本からぶっ壊す悪魔大王としか思えなかったのではないか。

外からだけでなく、織田家の内部から見ても、織田信長という人物は疑問である。

人事の面でも織田信長の合理精神は発揮されており、適材を適所で使うことに心を砕いているように見える。

能力主義による人事は織田家の発展を支えたであろう。

だがその当事者にはとってはどうだったのだろうか。

能力主義とは、つまり時価による評価である。

言い換えれば、より有為な人材の抜擢や老衰によって現在の地位を占める能力を失えば、その地位を失わざるをえない。

源頼朝以来、いやもっと以前から、武士が必死に働くのは子々孫々に美田を残すためだったはずだ。

しかし織田信長は、勲功への報償を永久保証してくれない。

だからこそ信長の家臣どもは抜擢され、出世できたはずだが、出世した後にその地位を守るためには、結局死ぬまで自らの優秀さを証明し続けなくてはならないのだ。

それに能力主義と言っても、客観的な数値評価があるわけではないのだ。

結局は織田信長の主観によるほかない。

家臣どもがかなり強いストレスに晒されていたことは想像に難くない。

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織田信長は、世に平和をもたらしたにも関わらず世人に憎まれ、家臣に高い地位と豊かな暮らしを与えたにも関わらず家臣に疎まれる存在ではなかったか。

それは織田信長が、持ち前の合理的な精神によって時代に合った新しい制度を実施し、能力主義によって家臣に能力を発揮する機会を与えたためだったのである。

そしてその新しい体制の必要性が、ゆでガエルの如く徐々に破滅に近づくのにも気づかずに、十年一日の如く変わらぬ毎日を送ることのみを願う世人や家臣どもには、決して理解されなかっただろうと考えられるのである。

このような時代を受けた徳川家康は、ある程度先進的な制度を取り入れつつ、人事の面では決して織田信長のような人物が頭角を現すことができないような制度を構築した。

それは安定を願う人々の心と良くマッチしており、結果として日本はゆっくりと時代の進歩から取り残され、最後には何もかもが潰れることによって、ようやく新しい時代に向かうことができたのであった。

 

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