日本人の苗字は多く、10万種とも20万種とも言われる。

それだけ多いと誰にも全貌を把握もできず、時に珍姓などが紹介されることもある。

その一方で、非常に人口の多い苗字もある。

田中、鈴木、佐藤といったものがそれだ。




明治時代に苗字必称となり、それ以降は庶民も苗字を名乗るようになった

武士や公家はあくまで少数の特権階級であって、日本人の大多数は庶民だったはずだから、苗字の偏りは庶民の動向の結果であるはずだ。

 

Wikipediaによれば、明治以前の庶民も、血縁関係を表す家名はあり、「豪族の所有民たる部曲の“○○部”という姓を持っていた」とある。

長谷部、綾部、服部、日下部、倭文部、鳥取部、錦織部といったものがそれだろう。

しかし、それが日本人の多数派だとも言えない。

 

かといって、全国的にめいめい勝手な苗字を付けた結果が、ほとんどが「田中」「鈴木」「佐藤」になったというのも変だ。

地域的な流行はあるかもしれないが、極端にすぎる。

明治以前に付いた苗字だとしても、少数の苗字の占有率が高い状態を、自然発生だけで説明するのは無理があるのではないだろうか。

かといって、これらの苗字を持つ家系が代々子だくさんだったとしても、その子を養っていくことができなかったはずだ。

繰り返すが、想定しているのはあくまで庶民なのである。

もちろん、「田中姓を名乗るように」などといった法令が発せられたということも知られていない。

 

これ以上のことはわからない。

だから、例によって想像たくましく考えよう。


苗字の趨勢を決めたのは、庶民の動向だ。

これは間違いない。

現代では市場占有率の高い「田中」「鈴木」「佐藤」などといった姓、もしくは苗字が、歴史の武士や貴族の世界では皆無ではないにしろ、さほどメジャーでは無いこともそれを根拠づけている。

一方でこれらは、古代の部や氏族を示す名称でもない。

だから、実は古代の部曲の子孫でない庶民が大量に存在するのではないだろうか。

つまり、大多数の日本人の先祖は、部曲が存在した大化の改新の時点では、まだ日本にいなかったということだ。

必然的に、どこから来たのかという疑問が生じる。

 

よっくすはかねて、西日本に「福〇」という苗字が多く存在することが気になっていた。

福田、福本、福川といったものがそれだ。

苗字として、種類の面でも人数の面でもその多さに対して、こうした地名は比較的少ない。

「吹く」「深い」といった意味だ、という説明もあるが、深田、吹田よりも福田のほうがずっとメジャーだという現実を考えると疑わしい。

あるいは、縁起が良い字を当てたという考えもあるが、それにしては幸、良といった字は苗字ではあまり見かけない。

そう、苗字に使われる漢字には偏りがあり、偏りが生じた理由は説明しづらいのだ。

 

であれば、この福の字は出身地を表しているのではないだろうか。

つまり、華僑を多く生み出した福建から来たのではないかということだ。

同様に考えると、わりと多くの苗字が説明可能だ。

この仮説に従えば、重要なのは字であって音(読み方)ではないということになる。

出身の地名だけでなく、氏族まで含めて考えると、説明可能な範囲はもっと広がる。

これらの字が、わりとよくある「〇藤」(佐藤、加藤、斎藤等)との相性が悪い(たとえば「山藤」「河藤」といった苗字は比較的少ない)ことも、「〇藤」系とは異なった由来を持つことを想像させる。

一方で、この説の致命的な問題点は、地名でいえば湖広(湖北・湖南。楚・荊・湘などとも称される)、氏族名でいえば王、李、劉といった、当然あってよいはずの文字に対応する苗字が見られないことだ。

この点が説明できないと苦しいだろう。

が、その問題点を無視して外国由来説を考えるとすると、興味深いのがますだ・まつだ(増田、益田、舛田、升田、松田)だ。

とくに「ますだ」は、対応する漢字が多様であることから、音(読み方)が本体で、後から漢字を当てたと考えられる。

とすると、「ますだ」なる符号を共有する一団は、本来はマズダ教、すなわちアフラ・マズダを崇めるゾロアスター教を奉じたペルシャ人だったのではないか。

であれば、アフラ・マズダに対立する神「アーリマン」に対応する一団が来日していても不思議はない。

これらは、そもそも移民として中国に入ってきているから、生粋の中国人よりも腰が軽いというか、わざわざ日本へ渡ることへの心理的な障壁が低いと考えられるのだ。

するとその他の人々、たとえばアラブ人(中国では「蒲」姓を名乗ったと考えられる例が知られる)やキリスト教徒(景)、サマルカンド人(康)、ブハラ人(安)、タシュケント人(石)などが来日していても不思議ではないことになる。

しかし、これらの字を含む苗字は必ずしも日本で多くみられるわけではなく、深く考えるとボロが出てくる。

田が付く苗字は増田のほかにも吉田、安田、柳田等多数あり、それらは田の字にはあまり意味がなく、漢字一文字に語調を整えるために田の字が付いたのではないかと感じる。

一方でマスダのマスに当てられる各字は、田の字以外との組み合わせが少ないのが特徴である。

それゆえ、この苗字に限っては、二文字で意味があると考えてもいいのではないだろうか。

もっとも、それなら「増陀」「増多」「増駄」といった苗字が多くあってもいいような気はするが、実際には二文字目は田の字に限定されている。

また、愛知県の増田姓は、元は「マシタ」で、それであれば「真下」「間下」といった苗字と同根であることになる。

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ここで述べた仮説は完全に牽強付会である。

これが真実である可能性は限りなく0に近いであろう。

しかし、日本人の先祖が列島の外から来たということは間違いないのだ。

どこから来たのか想像をめぐらしてみるのも、たまにはいいだろう。

 

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