今日は大晦日。あと数時間も経てば、除夜の鐘の時刻だ。

私の生まれた集落では、毎日夕方になると刻を告げるお寺の鐘が聞こえた。聞けば今でも鐘を撞いているとのことであるが、その後住んだ何カ所もの集落では、除夜の鐘以外でのお寺の鐘の音が聞こえたところは無い。

こうしたものは、おそらく一度廃止になれば、二度と復活できない。

現代の集落にはいろんな考え方の人がおり、必ず宗教問題になる。

文化を守るのもなかなか大変なのだ。




さて地方に来て必ず直面するのが、地元の人たちどのように付き合っていけば良いのだろうかかということだ。

人付き合いのやり方は人によっていろいろあることだろうと思うが、常々感じるのは、移住者が地元の人々と同等の権利を主張してはいけないのではないかということだ。

地元の人々は、ずっと昔からその地域での生活を守ってきた。

 

なにしろ警察も消防も無く、病院も無い時代からずっと、集落を守ってきたのだ。スーパーマーケットも無いから、不作不漁になったらどうしようもない。

そんな環境で、賊から隠れ、あるいは撃退し、病気を避け、少しでも確実に食料や生活資材を確保する算段をつけねばならない。

土地に合った作物、収穫物の貯蔵法を開発させなければならない。

むろん神様にも祈らなければいけないだろうし、仏様も疎かにはできない。

その前提として、集落の人員の団結を図らなくてはならないし、それを乱す者への懲罰も効果があるものでなくてはならない。

血が濃くなるのを防ぐためには嫁も見つけてこなければならないし、誰も来てくれないのなら実力でなんとかするしかない。失敗すれば滅亡だ。

文字通り血を流して何百年も守ってきたインフラを、不意に移住してきた我々は、事実上、ただ同然で利用している。

それはそれだけでありがたいことだ。

 

現代人の目からみればおかしな習慣もたくさんあるのかもしれない。

おかしくなくても、草刈りやらお祭りやら、忙しい現代人には到底果たしきれない義務が多くあったりもする。

それらの中には、長老たちの気まぐれでできたようなものもあるのかもしれない。

しかし、基本的には、集落で引き継がれている文化や習慣は、集落を守るための必死の知恵が籠められているのだということを、考えるべきだろう。

いま世界には70億人以上の人がいるが、日本人に生まれる確率は1~2%ぐらいだ。

そして日本人の4人に1人は首都圏に住んでおり、その他も大多数が、大阪圏、中京圏や各県の県庁所在地などの大都会に住んでいる。

日本の地方に住めるのは奇跡のような確率だ。

その奇跡に巡り合わせた幸せを楽しもうではないか。

 

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