静岡県の統計をみると、平成26年12月末現在で住民基本台帳に登録されている南伊豆町の外国人は35人。南伊豆町全体では8,915人で、その比は0.39%だ。
その比が静岡県で最も高いのは菊川市で5.2%。数が最も多いのは浜松市で20,952人だそうだ。ちなみに鹿児島県志布志市は138人で0.4%。南伊豆町と同程度だ。
さて、外国人は何をしに地方へ来るのだろうか。外国語教師だろうか。そうでなければ、日本文化に憧れて来日したとか、サーファーとか。だがそれだけだろうか。
この点を端的に示してくれるのはプロスポーツの世界だ。
日本のプロ野球では外国人枠というものがあり、日本人以外の選手数が一定数以下になるように定められている。
一方でMLBことアメリカ合衆国のプロ野球では外国人枠が無く、世界中から優秀な選手が集まって鎬を削っている。
片や日本選抜+アルファ。しかも上澄みは脱出してMLBに挑戦している。一方は世界選抜。勝てるわけがないではないか。
サッカーの世界でも同様だ。世界で最も多くの金額を動かすイングランド・プレミアリーグでは外国人枠が無い(ホームグロウン枠はある)。世界中の選手が集まるのだ。
スペインやイタリアでは外国人枠があるが、EU圏内では圏内選手が自国選手扱いとなるし、サッカーが盛んな南米にはイタリアやスペインにルーツを持つ選手が多いこともあってか、EU加盟国の国籍を取得してEU圏内選手となることも多い。
いわば、EU圏内では、サッカー強豪国のほとんどの選手が外国人枠の制限を気にせずにプレーできるようになっている。
日本と比べれば外国人枠は緩いのだ。
いまや日本の地方は、独力で海外の市場に挑戦して勝っていかなくてはいけない。
その視点から、外国人という存在を考えてみたい。
フランス革命を境に、国家と外国人の関係は大きく変わっている。
それ以前は、国家は王様の財産だった。
しかし革命以後、国家は国民を会員とする、会員制クラブになった。外国人などできるだけ入れたくない。
革命以前の主権者である王は、王家の存続と財産である国家の維持を考える。そのために必要とあれば外国人であっても登用した。
オーストリアの皇帝レオポルト1世はフランス人のオイゲン公を対フランス戦に起用した。
一方で革命以後は、そういう起用は起こりにくくなっている。
だが、ここで思い起こしてほしい。
繰り返すが、いまや日本の地方は、独力で海外の市場に挑戦して勝っていかなくてはいけない。
日本人だけでは、世界選抜には勝てない。まして地元出身者だけでは。
地方は、地方だと言うだけで不利な条件を抱えている。
外国人は、地方が生き残るために必要な戦力なのだ。
自分たちの村の課題を分析して明らかにして、それを克服する作戦を考えなくてはならない。
その作戦のために必要な技能や才能を持つ人を集めてこなければならない。
外国人だからこその能力が必要なのではない。
必要な能力をもつ人材を、国内のみならず全世界に渉猟して、集めてこなくてはならないのだ。
もっとも、小さい町の財力で獲得できる能力には限りがある。
ポイントを絞って、限られた予算で勝負しなくてはならない。
その部分を丸投げしてはだめだ。
「外部の人の自由な発想を」というのは危険な発想だ。自由な発想というのなら、その人を町長に据えるぐらいのことはしないと効果は出ないだろう。
アイデアというのは結局、発想する人ではなく決断する人のレベルに落ち着くものだから。
いったい何で勝とうというのか。
まずそれをはっきりさせる必要がある。