山が険しく雨が多い日本では、山にわけいると清流に出くわすことも多く、これを何か利用できないかといつも思う。
水を利用といえば、まず水力発電であろう。
そこで、水力発電の「可能性」について少し考えてみたい。
なお、扉の写真に用いたダムの写真は静岡県の長島ダムのものであるが、実はこのダムは発電目的では利用されていない。
主旨に合っていないが、他に良い写真も無かったので、ご理解をいただきたい。
さて、現代の世界での発電の主力は、なんと言っても火力発電である。
ここでは、各社の「最大の」火力発電施設の一覧である。
見てもピンとこないと思うが、後掲の水力発電との規模感の比較のために、出力についてご覧頂きたい。
日本最大の火力発電施設は、電源開発が保有する橘湾火力発電所の1号機で、定格出力は105万kWである。
なお、CC方式とは「コンバインドサイクル発電」といって、発電の際に発生する排熱でさらに発電するという方式である。
したがって、発電施設1基と言うのはおかしいが、さりとて分けて考えるのも変なので、大規模なものを3ヶ所、掲載した。
ちなみに一口に火力発電といっても、その方式は大別して3種類ある。
沖縄電力の主な火力発電所の一覧をごらんいただきたい。
汽力発電とは、火力で水を蒸発させ、その蒸気でタービンを回す方式で、最もポピュラーな手法と言えよう。
ガスタービン式とは、燃料を燃やした際に生じる高温高圧のガスを用いてタービンを回す方式である。
要は飛行機のジェットエンジンの方式だ。
内燃力発電とは、要するにディーゼルエンジンのようなもので、ピストンで燃料を爆発させて得られる回転力で発電するものだ。
正確には内燃力発電はレシプロエンジンとガスタービンエンジンの両方を含むので、ガスタービン式も内燃力式に含まれるはずであるが、参考にしたサイトではレシプロ式を「内燃力」と表現しているようであった。
少し話がそれたが、次に水力発電所を見てみよう。
これは各社最大の水力発電所の一覧だ。沖縄電力は水力発電所を保有していない。
日本最大の水力発電所である、只見川の奥只見発電所でも56万kWだ。
火力発電所と比較すると、その施設の規模に対して得られるエネルギーが小さいと言わざるを得ない。
ちなみに原子力発電所はこうだ。
最大は志賀原子力発電所2号機で、135.8万kW。
ただし、これには建設費も3,700億円を費やしたようであり、やや割高に感じる。
同じ規模を火力発電で賄おうとすれば、2000億円以下でできるのではないだろうか。
いろいろとメリットもある原子力発電ではあるが、危うく国を滅ぼしかけた大事故を起こした前歴もあり、今後どの程度信頼していいのかはよくわからない。
ちなみに、原子力を利用した発電は必ずしも大規模なものでなければならないわけではなく、原子力電池というようなものも利用されている。
さて火力、原子力との比較で、さらに水力発電について検討してみよう。
有名な黒部川第四発電所は日本で4位の規模ではあるが、33.5万kW。
これだけのエネルギーを得るために、あの雄大な黒部ダムが建設されたのだ。
そのためにダムだけで513億円を費やし、171名の殉職者を出した(昭和38年完成)。
発電所の建設費はそれとは別である(たぶん)。
現代との貨幣価値の差を考えればなおさら、水力発電所の初期投資は火力・原子力と比較して、著しく高額なものなのだ。
さらにいえば、出力日本第3位の佐久間発電所(35万kW)を擁する佐久間ダムでは、ダム建設にともなって296戸が移転せざるをえなかった。
人数で言えば1000人を超えただろう。
先祖から何百年も受け継いできた家や田畑を、集落ごと失うのだ。永久に。
それは当事者目線で見た場合、原子力発電所の事故で家を失うのと何が違うのだろうか。
それを止む無しと言える人は、日本が丸ごと無くなって自分が海外移住を余儀なくされてもやむを得ないと言えるのだろうか。
もちろん、こうした移転に対する補償もまた初期投資として積みあがってくる。
国鉄飯田線も、2本の長いトンネルを掘って隣の谷に付け替えられたが、それももちろんタダではない。
その一方で、水力発電には、半永久的に自動的に水が流れてくるので、燃料を購入する必要もないし、もちろん補給する必要もない。
放射線を遮蔽する必要もない。
したがってランニングコスト面ではかなり有利であるのだが、初期投資の差を埋めるのにいったい何年かかるのだろうか。
さらにいえば、水力発電は、ただデカいダムを建設して大きな湖を作ればいいわけではない。
どれだけ多くの水を貯めようとも、使える水量は結局流れ込んでくる水の量に制約される。
大事なのはストックではなくフローの量なので、湖がデカければいいわけではないのだ。
もちろんそれとともに落差も重要になってくるはずだから、ダムのデカさが無駄になるわけではないが、一方で渇水になってしまえば全く稼働できない状況というのも想定できる。
大規模な水力発電に適した土地は日本では枯渇したともいわれ、火力が主になっているのもまったく余儀なき次第である。
小規模水力発電が注目されてはいるが、それに未来があるのだろうか。
ここで中部電力の火力発電所の立地を見てみよう。
すべての発電所が臨海部に立地する。
日本は島国である上に大規模な炭田もなく、大量の石炭やLNGは輸入に頼るため、どうしてもこのようになる。
内陸部まで長大な送電線を建設するのも安くはないとは思うが、石炭をわざわざ運ぶよりはましであろう。
石炭利用拡大に関するIEA宣言(昭和54年)によって、現在石油火力発電所の新設が禁止されているとのことだが、石油だって同じことである。
つまり内陸部であれば、水力発電が生きる余地はまだある。
内陸部でしか手に入らないものを用いて、内陸部で小規模にものを製造し、それを回収して大規模に商売をすることができるのか、というところが勝負の分かれ目だ。
まったく原料を補給しなくても24時間年中無休で稼働してくれる点も活かせればなお良い。
たとえば水である。水ならば平野でも容易に手に入るではないかと思う人もいるかもしれないが、平野部ではポンプが必須であるのに対して山間部では落差によって無動力で水を手に入れることが可能である。
それでどうすると言われると困るが、蒸留水でも作って洗車グッズとして売るか。
あるいは落ち葉を集めて、電力を利用してたんぱく質を濃縮して肥料や飼料として売るか。
それでもうかるのかは知らないが、要するにそういう視点が必要だとよっくすは思う。