南伊豆町の観光案内の表紙を飾る風景といえば、今や石廊神社でも弓ヶ浜でもなく、あいあい岬からのパノラマが定番である。

(あいあい岬からのパノラマ)

そして、このあいあい岬の崖下に、南伊豆町を代表する観光地に成長したヒリゾ浜が位置する。

ここは周囲から隔絶された崖下の透明な海浜で、夏の渡船でしか渡れないところにお値打ち感がある。集落としても、人気の観光地への渡船と駐車場で、観光資源を金に換えるモデルの確立に成功し、まさに観光地がいかに生きるべきかを示しているように見える。実はあいあい岬からヒリゾ浜に降りる道がかつてはあったようだが、荒れ果てて今は通れない。渡船によるモデルの確立により、今後も歩道が整備されることはないだろう。

(海から見たヒリゾ浜)

さて、観光資源を金に換える手段の確立は大切だが、そのためには元手となる観光資源が必要だ。

しかし、たとえば「自然が豊か」だからといって、それで観光客が来るのだろうか。

自然が豊かなところなど、どこにでもある。日本中、自然が豊かだと言ってもいいくらいだ。

逆に観光客の立場になってみればいい。たまの休日に、なけなしの財布をはたいて出かけるならば、それなりに付加価値のある旅をしたいと思うのが普通だ。ただ自然が豊かだというだけで、行き先として選んでくれるだろうか。比類ない独創的な造形美を誇る厳島神社や姫路城、神社として最も格式の高い伊勢の神宮、そういったところが選ばれるのではないだろうか。そこまでいかなくとも、行ける範囲でできるだけ付加価値の高い行き先を選ぶものだ。

現実的な効用があればなおよい。たとえば「あそこへ行けば、肥満が治る」。

国内がだめなら外国からの客をターゲットにするのか。世界を相手に競争するのはもっと厳しい。周囲の自然は、見せ物として、中国の九寨溝や米国のグランドキャニオンよりもすごいのか。わざわざ国境を越えて出てくる外国人観光客をお迎えするのに、ただ自然が豊かだというだけでは全然不十分ではないか。日本国内で、自然だけで鑑賞に堪えるものがあるとすれば、オホーツク海の流氷のようなものに限られるだろう。

しかし、観光資源の価値というのは、単に自然や建物の造形の美とか、グルメ、温泉とか、そういうものにとどまるものではない。

じつは伊豆にも国宝に指定された仏像がある。

願成就院の仏像だ。

これは、高名な仏師運慶が彫った像で、鎌倉幕府の実力者であった北条時政が、婿である源頼朝のために作ったものだ、とか。1186年のことだ。

今の願成就院は、当時は北条時政の館であった。そもそも1180年の旗揚げの前までは、北条家はこの付近を領する小さな豪族にすぎなかったのだ。

それが時流に乗って鎌倉での幕府創建に功績があり、北条家も、それが仕える幕府も、今や日の出の勢いで日本を席巻している。

とはいえ西の平宗盛は滅んだものの、北の平泉には強敵である藤原秀衡が健在だ。鎌倉幕府の行く末はまだ不安定。自分たちの不安定な組織は、明日にでも滅んでしまうかもしれない。

そういう時世に彫られたこの仏像には、北条時政の切実で現実的な願いがこめられているのではないだろうか。一方で若き運慶は、遙々東国へ下り、この仕事を請け負うことで、どのような将来を夢見たのだろうか。

仏像としての出来映えは、あるいは京都や奈良の逸品には及ばないのかもしれないが、この仏像は、そのような人々の願いが籠められていることこそに価値があるのではないだろうか。遺跡遺物の歴史的価値というのは、要するにそういうものだ。

半島の南の果て、南伊豆町にも歴史の息吹がある。たとえば源頼朝と敵対した伊東入道は、平家のもとに逃れようとして果たさず、鯉名の湊で捕らえられたのだ。その鯉名というのが、鯉名川のことなのか、鯉名川が青野川と合流して海に出る手石集落と隣接する小稲集落のことなのかわからないが、あと一歩のところで逃げ損ねた、あるいは追いついた人々の無念、安堵、そういう気持ちがこの土地には染みこんでいるはずだ。

多くの観光客は、優れた景色、優れた造形に心打たれて、山海の珍味に舌鼓を打ち、温泉で羽を伸ばして、それだけで帰途につく。もちろんそれは、それだけで説明不要な素晴らしい価値に違いない。しかしそれだけでなく、人々の営み、歴史、そうしたものを理解することにより、観光資源により深い奥行きを添えることができて、より大きな価値を提供することができるのではないだろうか。

 

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