明治維新後、日本の人口は大幅に増加した。

明治22年(1889年)には0.41億人であった人口は、56年後の昭和20年(1945年)には0.73億人となった。

戦前、日本の人口は2倍近くに膨張したことになる。

さらに50年後の平成7年(1995年)には1.26億人に達した。

つまり高度成長期にも日本の人口はかなり増えた。

その後も数年間は微増を続けたが、平成27年(2015年)には1.27億人に留まっており、すでに減少に転じている。

いわゆる「失われた20年」に対応する。




江戸時代の自給自足経済の余韻も冷めやらぬ明治22年の人口は、本来列島が維持できる人口をおよそ表していると考えられる。

従ってそれ以降の増加分、8千万人分は、経済成長によって外国から食料を輸入する余力が生まれたために増加した人口である。

もちろん農業の発展、とくに北海道における農業の発展の影響は見逃せないが、大局的には経済成長の恩恵としての人口増加と見てよいだろう。

「人口ボーナス」と呼ばれる現象が知られており、人口の激増期に経済政策に成功すると劇的に成長する。

日本でいえば高度成長期がそれに当たる。

戦前から世界有数の経済規模を有していた日本だが、人口ボーナス期に朝鮮戦争の特需が契機となって、日本は驚異的な経済成長を果たした。

だが実は人口ボーナスは、出生数の増加の後に少子化が引き続くことによって、生産年齢人口の比率が極大化して発生するので、その後には必ず人口が停滞、あるいは減少する。

1995年から2015年の20年間は、総人口数こそ維持しているものの、生産年齢人口の比率は急減しており、経済的に停滞するのもまったくやむを得ない状況であった。

そして今後も好転の見通しは無い。

韓国や中国でも既に人口ボーナス期は終わっており、フィリピンではこれから人口ボーナス期を迎えるそうな。

さて、全国的にはそのような傾向だが、日本全体が一様に増えたり減ったりしているわけではない。

明治22年と比較した平成27年の人口。1000%以上(赤)、500~1000%(橙)、200~500%(黄)、100~200%(緑)、100%以下(青)

たとえば、北海道は明治22年(1889年)には人口37.8万人に過ぎず、全国最下位であったが、平成27年(2015年)にはおよそ14倍の538万人となっている。

沖縄県は明治22年には38.1万人で下から2番目であったが、平成27年には約4倍の143万人に増えた。

一方で、新潟県は明治22年には人口168万人を数えて日本一であったが、平成27年では37%増の230万人に過ぎない。

島根県に至っては、明治22年の70万人から平成27年の69万人へ、なんと減っている。

これらの変化をさらに、時期を区切って見てみよう。

 

まず戦前(明治22年~昭和20年)である。

戦前(明治22年~昭和20年の56年間)の人口増加率。年率1%以上(赤)、0~1%(黄)

この期間に年平均で1%以上人口が増加した都道府県を赤で、増加率が0%以上1%未満の都道府県を黄色で示した。

戦前に人口が減少した都道府県はない。

産めよ増やせよの時代である。

大都市圏と東北・北海道で人口が大きく増加しているが、それぞれ産業の進展による人口吸収と、農業の進化による寒冷地での人口保持力の増加を反映しているのであろう。

寒冷地の中でも、積極的な殖民が行われた北海道はともかく、東北地方での人口急増は注目に値する。

他の地域と同じように、東京など大都市への人口流出があったはずであるのに、それを跳ね返す高い増加率である。

さてその中でも特に人口増加率が高い10県、低い10県を見てみると、北関東から南東北で特に高い増加が認められる。

戦前(明治22年~昭和20年の56年間)の人口増加率上位10県(赤)と下位10県(青)

大都市では東京、大阪の両府は高い伸びを示しているが、周辺はそれほどでもなく、まだ両都市の拡大が県域を越える勢いを示していないことがわかる。

その一方で、北陸、山陰、四国で増加が鈍く、前の時代に既に農業開発が進んでいて、頭打ちになってきていたことを想像させる。

そして、このような東北・北海道における大きな人口増加は、日本の経済の重心が東へ移っていくことを意味しており、京都から東京への奠都は見事にそれに対応している。

当時の為政者の慧眼を思わずにいられない。

距離的にも、東京は占守島から与那国島に至る国土の中心に位置している。

そして背後に豊かな関東平野と豊富な水資源を控えつつ、眼前には船舶の停泊に適した広大な東京湾を擁しているのだ。

都市として理想的なこのような要地を首都にできたことが、明治以後の日本の発展に大きく寄与したのであろう。

 

次に成長の時代(昭和20年~平成7年)。

戦後成長期(昭和20年~平成7年の50年間)の人口増加率。年率1%以上(赤)、0~1%(黄)、減少(青)

人口の大幅な増加はほぼ太平洋ベルト地帯に限られており、人口が減少してしまった県(青で示した)も3県認められる。

経済の成長とともに過疎・過密の問題が議論されていた時代でもある。

増加率が大きい県が三大都市圏に集中しており、特に東京、大阪の両都市が県域を越えて拡大していることが読み取れる。

逆に人口増加が鈍い県は、日本海側や四国南岸等、いわゆる「国土軸」が貫通していない県に偏っている。

戦後成長期(昭和20年~平成7年の50年間)の人口増加率上位10県(橙)と下位10県(水色)

そのような中、最も条件的に不利と思われる沖縄県が異色の増加を示している。

沖縄県は、この期間の前半は米国の施政下にあり、米国が極東の要衝として多くの資本を投じたこと、それを引き継いだ日本政府も同様の政策を維持したことが背景にあると考えられる。

率直に言って、沖縄県には東京都や大阪府に比肩するほどの産業の成長があったわけではない。

しかし軍事基地の経済波及効果と、それを支える地域経済維持のための政策的な投資によって、このような人口増加が実現したのだろう。

 

次に停滞の時代(平成7年~平成27年)である。

停滞期(平成7年~平成27年の20年間)の人口増加率。0~1%(黄)、減少(青)

この時代は、すでに人口が増加している県じたいが少なくなっている。

大都市圏と沖縄県のみが微増している。

その一方で戦後大きく人口を減らした島根県では、戦前の貯金を食いつぶし、明治22年の水準をも下回る状況になってしまった。

大都市圏の増加はおそらく地方からの流入によるものだから、ここもいずれは減少に転じる。

沖縄県の増加は続いている。

全国的にはきわめて厳しい状況が続いているので、まさに身を削って沖縄県に投じる資金をひねり出している状態ではあるが、それに文句を言う人はいないだろう。

それぐらい沖縄県の歴史は日本人にとって重い。

慰霊の日には首相が欠かさず沖縄県を訪問する。

このような例は、沖縄県の他には広島県、長崎県があるのみである。

とはいえ、県民総生産とか県民所得とかの数値を見れば、沖縄県民が豊かなわけでは決してない。

少しずつでも成長しているということが重要なのだろうか。

個人的にさらに願うとすれば、沖縄県のほうでもその投資を活かし、日本経済を牽引するような産業を興してほしい。

そして、日本を率いる優秀なリーダーを沖縄県からも続々輩出してほしい。

停滞期(平成7年~平成27年の20年間)の人口増加率上位10県(橙)と下位10県(水色)

さて、結局のところは、あまり明るくない現状を確認することになってしまった。

しかし、人口の増減が経済状況に関連することは明らかになったと思う。

特に沖縄県の事例は、お金さえ回れば人口が増えることを明らかにしている。

何を論じてもいつも同じような結論に至るが、人口を増やそうと思えば、経済的に成長するしかないのだ。

どうすれば世界中の人が買ってくれるようなものを作れるだろうか。

どういう環境を作れば世界中の頭脳が日本に集まってきてくれるだろうか。

あるいは、どう教育すれば、日本人が世界に展開していけるだろうか。

そして、どういうシステムを築けば優秀な才能をつぶさずに、活かしていけるのだろうか。

見通しは暗い。

しかし日本は敗戦後の極貧からでも立ち上がれたではないか。

いくら現状がひどくても、そのときよりはましだろう。

日本にはまだいくばくかの金はあり、技術的な優位性もあるのだから。

 

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