日光には外国人が多い。
外国人にも認められた名所。世界遺産に認められたゆえんであろう。
では、日光の価値は何なのか。それを説明できるだろうか。
まず日光とは東照宮であって、東照宮は徳川家康だ。そこまでは誰でも知っている。
東照宮は、徳川家康を神とあがめる神社だ。
徳川家康は日本史上の偉人といえる。しかし今は江戸時代ではない。
以前に触れたが、家康は何より静岡を愛していたようだ。家康を崇敬するのなら、まず静岡を訪れるべきではないか。
アートか。東照宮といって思い浮かぶのは、三猿や眠り猫などの彫刻の逸品、豪奢な陽明門のような建築物だ。
しかしそのアートは、世界に出してもその独創性と美しさが突き抜けた素晴らしいものなのだろうか。
よっくすには、そこまでとは思えない。確かに素晴らしいとは思うのだが。。
自然の美か。実は日光は、グラバー以来、避暑地として外国人から人気を得てきたという歴史がある。
だが、たんに自然の美というだけでいえば、国内でも軽井沢や霧ヶ峰よりも圧倒的に優れているとも思えない。
男体山以下の山容は美しく威厳があるが、富士山よりも人気かといえばそうでもない。
二荒山神社の歴史は東照宮よりも圧倒的に古く、奈良時代に勝道上人がが開いて以来、関東有数の霊場として認知されていた。
しかし、二荒山神社の参詣客は、おそらく東照宮よりも圧倒的に少ない。
観光客が、奈良時代以来の歴史に惹かれて来るわけではないのだ。
結局の所、日光とは明治以来、外国人に好まれてきた避暑地。そこにたまたま霊場(社寺)と温泉がくっついていて、観光地として手頃なボリュームになっていただけ、というようにも見える。
ひとつひとつのパーツを取り上げると、じつは超一級品だと認知されているものが何も思いつかないのだ。
それでいいのだろうか。
確かに日光には大勢の観光客が訪れる。
そうではあるが、日本人の観光客の目線は、外国人以上に軽いのではないか。ただ建築物を眺め、自然を愛でて、(温泉に浸かって)、それで終わりだ。
さみしくはないか。
日光の社寺が日本に誇る霊場だというのであれば、現実の生活との結びつきが必要だと、よっくすは思う。
そもそも日光の社寺は、誰のための、そして何のための霊場なのか。
たとえば、愛知県東部の旧三河地方では、徳川家康は人気がある。
まるで鹿児島県における西郷さんと似たような位置づけにある。
あくまで傾向だが、旧三河地方の人は華やかさよりも節約を美徳とし、余計なお節介で後ろ指を指されることを恐れる傾向がある、ように思う。
明らかに人生のロールモデルとして家康がある。信長よりも家康が好まれる土地柄だ。
そんな三河人が挙って東照宮に参詣に来るならば、それは一つの絵だと思うが、そんな事実はない。
三河人は日光東照宮によりも豊川稲荷に投資するだろう。
ならば関東の人たちのものか。しかし、関東の人たちが、素養として、日光にどれほどの思い入れがあるだろうか。
関東の野山に育ったよっくすにとって日光といえば、修学旅行で蛍光灯を割ってしまった友達がいた、という程度の記憶しか無い。
要するに、東照宮に(あるいは二荒山神社に)参詣する人たちの気持ちに、どれだけの必死さがあるのか、よっくすはそこに疑問を持っている。
神に祈る気持ちに真摯なものがなければ、神社などただの箱ではないか。
全員で無くてもいい。観光客の中にはクリスチャンもいるだろう。
だが、少なくとも一部の人たちが必死に祈り、その心持ちによって支えられているものであればこそ、内外の観光客に見せる値打ちのある霊場なのではないか。
そのためには、東照宮や二荒山神社自身が、誰のための、何のための神社なのか、もっとキャラを立てる必要がある。
最後に。
Wikipediaによれば、日光例幣使は「ゆすり」という単語の由来となったという説があるそうだ。
また東照宮、二荒山神社とともに輪王寺があるが、明治維新の折に輪王寺門跡にあった輪王寺宮公現法親王は、戊辰戦争の折に奥羽越列藩同盟に擁立されて天皇に践祚していたという説もある。
日光が史上に果たした役割は、思っているよりも大きいのかもしれない。
それは、観光地としての値打ちが、思うよりも大きいことを意味している。